[KOK 0238] こくら日記のトップページにとぶ 20 Jan 2004

昭和時代

 

小学校4年生の葵の宿題は昭和時代について調べてくることだった。

昭和の建物

これまで明治時代や大正時代などと年号の後ろに「時代」とつけるのを特に気にしたことはなかったが、昭和時代といわれるとすこしばかり違和感がある。しかし平成生まれの小学生たちにとっては、昭和はすでに過去の「時代」なのだろう。

「ねえ昭和時代にはどんな道具を使っていたの?」
「昭和時代の服装って?」
「昭和時代はどんな時代だった?」

ついつい竪穴式住居と貫頭衣などと答えたくなってしまう。昭和時代といっても私はその半分ほどしか知らない。私が知っている昭和時代は今とたいして変わらないように思うのだが、私の知らない前半はセピア色の銀塩の上で明治時代から連続しているモノクロームの世界である。

地理認識や文化習慣に負けず劣らず、歴史感覚というのはきわめて主観的なものだ。たぶん10歳くらいの頃を境にしてその前と後では世界のリアリティが全くちがう。10歳より前に起きたことはまるで物語か虚構のようにすべて深遠な過去とつながっている。そうしてみると、われわれはみな異なるリアリティをもちながら同時代を生きているのだろうか。

昭和の建物

昨年末に改築を終えた実家から、大量な段ボール箱にわけられた私の荷物が届けられた。

物持ちがよい私の親は、描いた絵や読んだ本のみならず、教科書やノート、小テストにいたるまで、幼稚園時代から高校までの、それこそあらゆる紙片を蓄えこんでいた。むこうでは判断できないので、全部送るから必要な物だけ選んで自分で処理しろというのだ。

北九州に来てからまもなく10年、京都に住むために家をでてから20年、小学校の頃から数えたらもう30年以上がたってしまった。30年!まるで実感がわかないのだが、色が茶色に変わったわら半紙がなによりの証拠だ。まるで滝に近づく川のように、このごろの時の流れはほんとうに恐ろしい。

30年前の作文、教科書の落書き、作りかけの紙飛行機。全部覚えている。まちがいなく私が残したものだった。目にしたとたんにそのころの風景がありありと浮かび上がる。小学生の私がなにを考えていたのか、楽しかったこと悲しかったこと、濃厚な記憶の塊が雪崩のように一時におしよせる。

昭和の蝸牛

そして昭和時代のことを尋ねる今の10歳の葵と、そときの私の時間が重なりあう。ずいぶん遠くに来たような気がするが、さほど離れていないようにも思う。私はあのころからすでに私だった。とすれば彼女も30年たっても今の彼女だろう。

葵は阪神淡路の大地震の夜、横で寝ていた赤ちゃんだった。彼女にとってのこれまでの10年は、たぶんゆっくりと闇の向こうに消えていくのだろう。けれどもこれから先の時間はいつまでも消えない。私の父は10歳の時に終戦を迎えた。その父が10歳の私に語った時とおなじように、私は昭和時代の話を10歳の葵に伝えようと思う。


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