[KOK 0237] 01 Dec 2003

ばったりたおれやさん

 

虹のホーメイアンサンブル北九州公演を聞きに行った。ホーメイというのは ロシア連邦トゥバ共和国につたわる伝統的な喉歌だ。モンゴルのホーミーと同じ流れをくむ遊牧民たちの倍音発声法による音楽である。

とある飲み会で同席した等々力政彦さんの歌声を聞いて以来、いつかこの美しい音色を自分のものにしたいと、お風呂場などで密かに練習してきた。へたくそ・うるさい・近所迷惑という家人からの三拍子そろった弾圧にもめげることなく特訓は続き、このごろはなんとかそれらしい音が出るようになってきた。

今回、その真髄に迫ることができる機会に恵まれたのだ。実際それはすばらしいコンサートだった。馬に乗って草原の中をギャロップで走り抜けるような軽快なリズム、空の上から響いてくるヒバリのさえずりのようなスグットの音色。ユーラシア大陸の広大な風景が目の前に浮かび上がるような弦の旋律。

しかもコンサートのあと日本トゥバホーメイ協会九州支部の井生さんの好意で打ち上げをかねた交流会に参加することができたのだ。ここまでは良かった。おもしろそうな事に対しては常にアンテナをのばし、どんなに忙しくてもこれぞというときは先のことは考えず即決で行動する、臨機応変にして融通無碍、いきあたりばったり系人間の真骨頂。これこそフィールドワークにおいてもっとも重要な能力といえよう。うむむ、舞い上がっている。

ばったりたおれやさん

交流会の席ですこし遠慮がちに距離を置いてすわるトゥバの音楽家たちと日本人。ひととおり食事もすすんだとき、「ちょっとこちらに来ませんか」のひとことに、ずうずうしくも天才歌手モングンオール・オンダールの真正面に席を移す私。作戦なき作戦。完璧である。いよいよ、ホーメイのその最も肝要のところを学ぶときが来たのだ。

しかし、いきなり知りたいと言って教えてくれる人はいない。その前に人格的な交流をはかり、相手とのあいだにラポールを築かねばなるまい。これもまたフィールドワークの鉄則である。やおら差し出されるコップ(注:杯のたぐいではなくコップである)に注がれるウォッカ(注:原液である)これをトゥバ文化のしきたりにしたがい一気に飲み干す。

何度それを繰り返したであろうか。4回まではかろうじて記憶している。言葉がほとんど通じないので畢竟コミュニケーションは身体的なコップの取り交わしにならざるを得ない。しかし天才歌手は、なかなかホーメイの秘技を明かしてはくれなかった。

いまにして思えば、モンゴル戦法にある(注:かどうかは知らないが)「将を射んとせば先ず馬を射よ」のことわざどおり、いきなり天才オンダールに教えを請うのではなく、英語も少しはわかるトゥバTVのプロデューサー、オトクン・ドスタイ(注:彼もまた優れた歌い手であり、馬と呼ぶには失礼であるが、よりフレンドリーな感じであった)にアプローチすべきであった。

そうこうするうちに二次会へと移動することになった。次こそは、なんとしてもホーメイのその深き源にふれ・・・。いやはや、ウォッカというものは本当に恐ろしい 飲みものである、わずかな距離を歩くうちに一気に酔いが回り、二次会の店についたとたんに私は崩れるように倒れこんだ・ ・・らしい(注:以下いっしょについてきたゼミ生たちからの伝聞によるもの である)。

二次会ではトゥバの人たちの緊張も解けより交流を楽しんだらしい。さらに小さな店の中で人々は生のホーメイを堪能したらしい。そのうえ楽器にもさわらせてもらい、あまつさえあれほど私が望んでいたホーメイの手ほどきもうけたらしい。二次会をずっと気絶したままで過ごした私はといえば、お開きになったあとでその場に来ていたモンゴル力士の兄弟子らしきお相撲さん(注:ごめんなさい名前がわからないのです、その節はお世話になりました)にタクシーへと運ばれ、とりあえず朝まで大学にころがしておくことになったらしい。

驚くべき事に、私と同量以上のウォッカ飲んでいたのにあのあとトゥバの人はまったく平気だったらしい(注:二次会では加えて焼酎も飲んでいたという)。遊牧民おそるべしである。まさしく真のいきあたりばったりとは彼らに与えるべき称号であろう。そもそもいきあたりばったりの伝統と年期からしてちがうのだ。 もし、その「いきあたりばったり力」でヨーロッパのもう少し奥まで征服して おいてくれれば世界の歴史が変わったことだろう

イギリス人は海を渡ることもできず、アメリカもオーストラリアも南アフリカもニュージランドも白人に略奪されることはなかったはずだし、もしかしたらアメリカ大陸では地球を一周して西と東からモンゴロイドの歴史的な出会いがあったかもしれない。とうぜん、世界を支配している白人中心の美意識や価値観もあり得なかったはずだし、マイケルジャクソンの顔は今とはさらにちがうものになっていたに違いない。

チェブラーシカ

遊牧民あなどるべからず(注:以後これを家訓としたい)。ちっぽけな島国ばかりをまわるうちに、すっかり井の蛙となっていた私は「いきあたりばったり」どころかあやうく「いきだおればったり」になるところであった。というわけで、ウォッカで蒙古軍と戦い、あわれ討ち死にした私のことを、これからはロシア語でチェブラーシカ(ばったりたおれやさん)とよんでほしいと思う。


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