[KOK 0239] こくら日記のトップページにとぶ 29 Feb 2004

残酷さの倒錯

 

授業でイルカ漁のビデオを見せる。「残酷だ」と目を背ける学生がいる。

婚資の牛

捕獲されたイルカはそのまま村人たちの食事となる。生きるために他の生命を奪う、それは彼らもわれわれも同じことだ。ただ、われわれは殺すところを見ることなく日常を暮らす。

鳥インフルエンザの流行地で袋詰めにされたニワトリたちが次々に穴に放り込まれ生き埋めにされる。

被害をさらに拡散させないために仕方のない処置だという。「これは決して残酷なことではなくて、合理的な判断に基づく最善の対策である」そう考えて、われわれは完全にウイルスを封じ込められるよう祈りながら作業を見守る。袋の中でまだ生きているニワトリたちがもぞもぞ動くが、もうそれはニワトリではなく危険な保菌者にすぎない。

近代という時代における残酷さの秘密がここにあるように思う。

目に見えないウイルスに恐怖して、白い服を着た人々が白い車から降り白い袋に鳥たちを押し込めていく。いつか見た風景にそっくりだ。そう、あの見えない電波を恐れていた人々の映像。あれは、やはり私たちが生きている近代のできすぎたパロディだったのだ。いや、われわれの未来に対する予言だったのだ。

袋詰めにされた大量の肉体は、はたしてニワトリなのか人間なのか。残酷な1人の独裁者を懲らしめるために、世界最強の軍事大国が海を越えて送り込んだ兵士は、すでに1万人もの人々を殺し、まださらに殺しつつある。たぶんアメリカに逆らう者がいなくなるまで殺し続けるのだろう。

しかし、この決定をくだしたアメリカの大統領は残酷ではなくて英雄である。

近代の夕暮れ

イラクでの死者数

「残酷さ」にたいする、われわれの感覚はすでに倒錯している。かつて残酷さを忌避する感情によって可能であったはずのある種の歯止めは、完全に壊れてしまい、今やほとんどあてにならない。


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