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【狂139】キノコの山はたべざかり

96/3/4

参加者のみなさんの感想です。Kちゃんは、翌々日にマレーシアにでかけてしまい残念ながら感想をきくことができませんでした。以下の感想については、実名を匿名にかえてあります。あと、わたし個人に対するお手紙であると思われる部分は、適当に削りました。


Jちゃんの感想

最後まで、壁にもたれていたJです。体がだるくなっていくにつれ、意識の方がますますはっきりし、横になってしまったみんなに、「お〜い、みんなぁ、何してんだよぉ。」とずっと叫んでおりました。たぶん一人だったら、好きなだけ「キノコワールド」を楽しめると思います。初対面で、しかも気の合いそうな人たちばかりだったので、話がしたくてたまらなかったようです、私。

Aさん、駅まで送ってくれてありがとうございました。


Nくんの感想

なんかほんわかとして気持ちよかったです。いろんなものがきれいだったし、動いたりするのもおもしろかったです。でも、もうちょっと過激に変わってもよかったかな?


Yちゃんの感想

正直言って、国内では初めての経験だし、知らない人もいっぱいいたし、わりと気を使う(と自分では思っている)私は、ちょっと不安でした。喉痛くて熱っぽかったし、前日に博士論文断念したし、他の人は、きのこ知らない人がほとんどって聞いていたし。Jちゃんの事前の不安感を、消してあげることもできなかったし。

だけど、何なんでしょうね。こんなにいろいろ面倒なことがあるのに、なんでやっぱり気持ちいいんでしょうね。頂いて半時間経たないうちに徴候があらわれて、でもみんな、まだ普通にしてるし、一人で勝手に行っちゃうのは、はしたないようなそんな気分になってしまって、しばらくは寄せる波にあらがってしまいました。一番いいときの状態からすれば、Dくんの言うようにほろ酔い気分というところですね。たくさん頂くと抗いようのない波にうわ〜んと、持って行かれるときもあって、そんなときの自分の無力さの心地よさはちょっとすごいです。

Dくんが、いるとぜったい大丈夫って根拠もなく思っている私はすごい。そう思わせるDくんは、もっとすごい。私は、そういう人たちのことを総称して”力持ち”と呼んでいます。無条件に人を安心させる力を備えて、生まれてくる人いるんですね。今までに、数人しか会っていませんけど。いつもそんな人を、探しているような気がします。

また、しようね。もう少し、人数は少ない方が良いと思います。6、7人くらい?そうしたら、一度にきっとみんなのことを思えるから。次はね、大好きな布とか、抱き枕とか、大きな大きなクッションとか、アイテムに加えたいと思います。

セット、並びにセッティング、そして今回はできなかったけど、頂いた後のもっていき方も、各自いい方法を確立できたら良いなと思います。

Yちゃんの感想2

それは月曜日のこと。仕事場で急に「明日のセッション」のことが話題になりました。私は、メイルが読めない状況にあったので、Jちゃんが言い出すまで全然知らなかったんです。誘われたらめったなことでは断らない私は、当然、迷うことなく参加することにしましたが、風邪気味で、鼻水たらして喉がイガイガしていた私の脳裏に一抹の不安がよぎったのも事実です。私のはまり方にはいくつかのパターンがありますが、一番簡単にできるのは自分の呼吸を感じることです。静かに呼吸して外の空気が自分の中に入ってくるのを、感じるわけです。それはそれは気持ちよくて、自分の体の境界がぷわんと溶けたり、体の中で風が動いている様がわかって、何てうまくできてるんでしょ、私のカラダ…、なーんて愛おしくなるのです。それが、あなた。鼻が詰まっちゃってごらんなさい。息苦しさだけが目立っちゃって、窒息しかねないでしょ。普段の何倍も感じやすいわけですから。そのため、前日は考えられる限りのあらゆる療法を施して、他のご用はなんにもせずに、とっとと寝ることにしました。せっかく、きのこするんですからそれぐらいの努力はしなければなりません。

さて、当日。夕べのうちに頼んでおいたチューリップを抱いて、本当に抱いて、京都に出かけました。電車の中で、どうしてこのチューリップを(他の色のチューリップとか、他の種類の鉢植えとかじゃなくて)選んだのかなぁって考えました。一つは誰の中にも小さい頃の思い出の中に残っているっていうこと、だからこそ大勢で見ても、共通の何かを感じられるだろうということ、他の華美な花と違って、あまりに当たり前すぎる花で、みんなその造形の美しさを忘れがちであること、などなど、ぼーっと理由を考えたのですが、そのうちに、ふとこちらに注がれている視線に気づきました。電車の中のみんなの視線が、とても優しくチューリップに注がれていたのですね。なーんだ、きれいなんだ。この花は。ぐちゃぐちゃ考えなくても。チューリップの方が私を選んでくれたような、まぁ、そんな気がしました。

待ち合わせ場所で、GさんとTさんに初めてお目にかかりましたが、Tさんが小さくてかわいいのでどきどきしました。車で知らないお家に連れていかれるのも、私をどきどきさせました。Gさんの部屋の壁にはいろいろな絵がありましたが、偶然にもカレンダーの絵が、私がよく行くバリ島の娘たちの写真でした。またまた偶然にも、私は写真の娘たちの踊りの伴奏のCDを持参していたりしたのでした。なんだかわくわくするじゃないですか。こんなのって。すぐにDさんが、AさんNさんKさんBさんとともに現れて、9人揃ったところできのこ世界へ足を踏み出したのでした。

今までは、生のきのこをオムレツで食べることが多かったので、どれくらいの摂取量だったのか全くわかりません。ただレストランで「いつもの」なんて言って、持ち帰って食べるのが常でした。回を重ねると「いつもの、ダブルで」なんて言っていましたけど。オムレツにしちゃうとたくさん食べなきゃいけないから、先日のお茶で頂く方法はとても良かったです。風情がありました。飲み過ぎ注意って感じはしましたが。30分くらいで、両腕がだるくなってきて体を支えているのが億劫になってきました。皆さん、まだ普通にお話ししています。ちょっと突っ伏したい気持ちになってきたのだけれど、テーブルの上はお菓子でいっぱいでそのスペースがありません。うーん、困ったなぁ。行っちゃいそうだなぁ。一人だけ行くのは恥ずかしいなぁ、なんて逡巡していたのですが、一人だけじゃなかったんですねぇ。いたんですよ、Dさんが。あらー、なんだ、そんなとこで一人で幸せそうね。幸せそうな人を見ると、幸せな気分になりますよねぇ。それで私はぐぐっとテーブルの上にスペースを作って、念願の突っ伏し状態に入ることにしました。

いつから音楽を流し始めたんでしたっけ。私は、今までの経験のうち、とっても良かったときが喜多郎だったので、そういった感じのCDを持ってきました。他の方、気に入らなかった方もいらしたと思います。ごめんなさいね。けど、あまり激しいのは、いい結果に結びつかないのではないかと思ったりしています。たとえば、ブラジルの似たようなセッションでも、サンバとか激しいのではなくてシンセサイザーものを使うことがほとんどだそうです。私は見ることをやめて、もっぱら感じることに専念しました。いやいや、専ら念じちゃまずいですね。できるだけぼーっとしてるのがよろしい。そうすると、上に書いたように体の中に風が吹くのですね。さわやかな風ではなくて、ちょっとウエットなのですよ。人肌くらいに暖かくて。喉も鼻も全然問題なくて。いろんな心配事とか、全然心配じゃなくなって。なんだ、大丈夫じゃないの。私、全然大丈夫。だから、皆さん、困ったときは一声かけてくださいね。

と、まぁ、こういう風に時間は過ぎました。行っている最中の記述って難しいですね。最終的に「いやぁ、良かった」ってなってしまうので。昔、きのこ体験を本にすると言って「5時20分、きのこ食べ終わる」からレポートし始めた劇作家が、結局「蛇口が曲がって見えた」時点で、書くことを放棄したことがありましたが、よく理解できます。だけど、次回は、がんばってレポートしたいと思います。そのためには、もう少したくさん頂かないと。


Bくんの感想

先日はキノコセッションにご招待いただき、ありがとうございました。感想を述べよとのことですが、それは大変難しいことです。何が何だかよく分からないのです。

一つにはやはり私にとって効き目がうすかったことで、私の日常との格差が期待していたほどに明確ではなく、目の前のものをいつもと違ったように見えるのに大変な集中力を要し、意外に疲れた。それでも確かに色が鮮明になり、角が尖り、光ったところが星をちりばめたようにきらめくというもっとも現われやすい幻視は体験できた。ただ私の場合、それが、私の心を否応なくつき動かすほどの感動に結び付かなかった。驚きはあったが、その"美しさ"に溺れるきることは出来なかった。今思いだせば、「確かにあれは美しかった」と思うものもあるが、どこまでがキノコの効用なのかがはっきりしない。

ところが、浅い効用の中でいつまでも神経を集中してキスの干物や椀やこたつの掛け布団を眺めていたおかげで、今でも何か一つのものを凝視していると、自分の呼吸に合わせて、膨張収縮をくりかえし、ゆれたり浮き出たりして見えるようになった。幻覚作用というよりは視覚系の錯覚や生理的な作用なのだろうが、今までとは少し違うものの眺め方をおぼえた気分である。実際にはこの現象には初めて気づいたわけではなく、今までもよくこのような一人遊びはしたことがあるが、単なる目の錯覚の遊びの域を出ず、もっと心の深い部分と結び付かなかった。また結び付いているかと感じるときはすでに目の前のものを何も見ていないというふうであったと思う。今、これを単なる錯覚の遊びから一つのものの見つめ方として発展しそうなのは、キノコセッションの時に少なからず、茶碗に話し掛けられたり、見つめ合っていたという経験を獲得したからであると思う。あの日の経験を思いだしながら、いろいろ試して遊んでいます。

服用中、みんな効かない効かないと言いながらげらげら笑っていた。でも、少し心を落ち着かせて自分たちの様子を眺めたときやはり皆どこか変だと思った。皆笑っているだけで効き目が出ていないなどと言いながらもどこか変だった。もっとも認識しやすい視覚的な幻覚作用の前にみんなすでにコミュニケーションが幻覚に侵されていた。と、感じていた私一人がキノコのせいでそう見えていただけなのかも知れない。何が何だか分からない。かつて、ヤップ島のビンロー樹の実をいただいたときの気持によく似ていた。

幻覚作用と心の深いところの結び付きについて、私の場合、睡眠と覚醒の狭間で体感幻覚を体験することがあるので、それと比較したいところですが、キノコの効用が、十分に出ていなかったようなので今回は保留します。ただし、私の体感幻覚(ドラッグ不要)は文字通り非常にフィジカルなものです。キーワードとしては「官能的快楽」「重力」「肉体的苦痛」「恐怖」「バランス」です。(今こうして書いたとき、自分がフリークライミング中毒になって、重傷を負ったのが偶然でないことにはじめて気づいた。どうだろうか?)話を戻すと、キノコセッションではすり鉢の内側の目を指でなぞるのが妙に心地好かったのをおぼえている。

今後胞子をいただいて、栽培するのが楽しみです。


Tちゃんの感想

心配かけちゃってごめんなさい。あの時、気分が穏やかで、急に仲良しの友人に会いたくなって、そのまま歩いて会いに行ってしまったのでした。

Gくんの家の外に出ると、涼しくて気分が良くて、急に周りのいろんな物がひかりだしました。電灯や信号や車のライトも花火みたいにぱあっと光を放ってて、きれいだった。道行く人が残像を残しながらゆっくり滑るように動いてて、みとれてしまいました。面白かったです。アルコールの酔いかたに似てたなあ。次の日、頭いたかったし。

私は外に出た方がいいみたい。次も誘ってください。今度はもっとたらふく食べたい。

ありがとう。またね。


Gくんの感想

両足が魚の鰭になると、両足をはなすことができません!あしからず(アシカじゃない!!)。


Aちゃんの感想

きのこはぜんぜんまずくなかった。

もともと「きのこだ!」っていう盛り上がりを勝手に作っていたのでちょっと ハイだったのと、みんなで集まっていて照れくさい感じもあって、しばらくは何 を見てもおかしくて笑いが止まらなかった。Dくんの「ハットトリック」と、テ レビでみた「炭酸ガスでいちご促成栽培」には、どうしても耐えられなかった。 (みなさんにも、ご迷惑をおかけしました。)

テレビの画面からでる光がきれいにオーロラみたいに波打っていて、ずっとテ レビばっかり見ていた。でも、これって涙目になっているときに、よくこうなる よな、とか思いながら。

ビール買いに外に出たら、暗いとこと明るいとこの差が妙にくっきりしていて、 きれいだった。車をバックさせようと思ったら、思ったほうと違うほうへ車が動 いて困った。(これも普段からよくあることかもしれない・・・)

白川通りに出たら、街灯と車のライトが流れていて、とってもきれいだった。

よくわかんないけど、とりあえず幸せ、っていう、気持ちいいけど、もうちょ っとどうにかしたい!もどかしい感じ。

こたつで寝たら、風邪をひいた。

カレーとおかしの食べ過ぎで、ちょっと太った。

キノコの山

※2002/5/7に、「麻薬、向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する政令の一部を改正する政令」が交付され、同年6/6から「マジックマッシュルーム」が麻薬原料植物として法規制されることが決定しました。したがって現在日本国内ではニライタケを所持・栽培・採集・節食することはできません。


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