【狂65】どうして猿は猿なんだ。その1

95/3/18

■私のところには現在10ヶ月になるヒトの乳児がおります。この個体は昨年の5月に誕生したのですが、今回からの連載はこいつがいつからヒトになったのかということについてです。

■不幸か幸いか、われわれは胎児の段階からすでに母親の中に宿る別の生命というものを意識することができます。最近の産婦人科には、知りたければ胎児の性別すら解ってしまう精度のよいエコースキャン装置がおいてあり、胎児の姿を生まれる前から「見る」ことができるわけです。

■もしわれわれが胎児という知識を持っていなければ、妊婦のおなかの中にあるものが果たして人間なのか、どろどろとした変な塊なのか、それすらも想像しようがありません。

■胎児が発生して6ヶ月もすぎると、母親の下腹部がもぞもぞと動きだします。胎児の存在を知っているわれわれは、それを母親の腹の調子がおかしくなったとは考えずに、胎児が蹴っているなどと言います。つまり行為の主体である胎児を無前提に想定してしまっているわけです。 それどころか腹が動くたびに「機嫌がいい」だの「おなかがすいている」だの「びっくりしたかな」だの勝手に思い込んで、相手の気持ちが解ったような気になっているわけです。

■さて、これまでなんども「情報なんてない、あるのは解釈である」というお話をこの狂電でしてきましたが、ここで人間に特有の解釈の形式のひとつである「擬人化」ということについて深く考えてみる必要でてきたようです。


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