【狂27】マエラシ その1

    勇者ワニガロが髪の長い娘を海の口から助けだした物語
    (あるいは、人類学者にとって本当の話とは何か)

94/9/18

■村の南に広がるマングローブ林は、男性用の公衆トイレと決められている。海にたくさんのフォークを突き刺したようにはえているマングローブの林を伝って奥に入り、適当に安定する枝を見つけては、木の上から海に向かって用をたすというのがこの村のやり方だった。ただ早朝や夕方はいつも混みあい、村の屈強な男たちと飛行練習中のツバメの子のようになかよくならんで枝の上にしゃがむことになる。あるていど慣れたとはいえ、もっぱら便秘ぎみの私は、できるだけだれもいない真昼の時間をねらってこのダイナミックな水洗便所に行くのが日課となっていた。

■その日もいつものようにそっとひとりで用をすませ、ぎらぎらと熱い砂浜を村に引き返した。潮の流れでできた砂州の上につくられた村は、強い日差しの中で眠ったように静まりかえっている。村の入り口には大きなアバロロの木があった。幹のまわりにたくさんの長い髭を垂らしながらどっしりと立つアバロロの木、たしかこれと同じ木が沖縄ではガジュマロと呼ばれていた。

■私がそのアバロロの横をとおりすぎようとしたとき、突然アバロロの木がしゃべりだしたような錯覚におそわれた。

「ほほほ、おまえさんこのあいだ海に行って、髪の毛がガチガチになったんじゃってのう」

■驚いて声のした木の根元をのぞきこむと、そこにはオイウ老人がいた。気根でおおわれたアバロロの木陰はちょうど保護色のようになっていて、私は声をかけられるまでまっくろな顔で笑うオイウ老人がいることにきづかなかったのだ。老人はタバコをふかしながら、背中をまるめてすわっていた。

「女たちがうわさしておったよ。ほほほ。漁から戻ったタケの髪の毛はまるきりハリガネのようじゃったってのう」

■村の人々は私のことをタケとよんでいた。竹川を略してタケである。うわさとはおとといのイルカ漁の時の話である。

「でも、あのときは大変だったんですよ」

■さしあたってとくに予定もない私はオイウ老人の横にすわり、すこしのあいだ相手をすることにした。アバロロの木陰にはひんやりと涼しい風がふいていた。話しずきのオイウ老人はタバコをおくと興味津々という目で私を見つめた。


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