人に迷惑をかけなければ

[KOK 0175]

15 Jul 2001



「人に迷惑をかけなければなにをしてもいいのか」
「人を殺すのはなぜいけないのか」

これは、このごろの大学一年生あたりのレポートを読むとよく登場する二大疑問である。

なぜ、この二つの問題がしばしば学生たちの関心事になるのだろうか。日本社会の倫理観が揺れ動いている様子を、ぼくはこの問いかけから感じる。しかしそれは単純な善悪の問題というわけではない。・・・・・その話にはいる前にちょっとだけ寄り道をしたい。

「クレーム社会」「共犯社会」「無痛社会」この3つの話題を巡って、アメリカに住むT氏と数度のやりとりをかわしている。このやりとりがなかなか面白く、一連のテーマを掘り下げるのに非常に役立っている。

T氏の話を聞く限りでは、アメリカはイギリス以上にクレーム社会が徹底しているようだ。明らかに盗まれた自分の自転車のタイヤを取り返すのにもクレームが必要だという。以下、氏の体験談より。

警察は私に聞いた。「これは君のタイヤか?」私は”正直”に「そう思う」と、こたえた。そこで警察は少し困った顔をして、「そう思うではわれわれは何もできない。」それは明らかに私のタイヤだったのだが、自転車本体からはずしてしまったタイヤなんて何の特徴もなくて「おまえのか」と言われてもマウンテンバイクのタイヤであること以外には名前が書いてあるわけでもなし、やはり、お人よし日本人代表の私にとっては、「そう思う」であった。

とにかくタイヤをはめてみた。ぴったしだ。あたりまえだ。おれのだ。警察も確信したようだ。警察は非常にばかばかしい質問をした。「この男が盗んでいるところを君は見たか?」

「見ていない。」(ここまでくれば私の(日本人の?)お人よしにはバカがつく。)そんなもの見ていたはずないではないか、と思った瞬間私は警察の意図に気づき始め、しまったと思いながら、私は実際の不審な状況を説明した。「私が店から出てきたときにその男が見せの前で車に乗って私を待っていた」と。確かに私は男と目が合っていたのだ。警察にとっても状況証拠はそろっている。

それでもおとこは譲らない。「おれはいつでもトランクにスペアを持っていて今日も昼からこうして車輪を2個売ったんだ」と。用意周到につんであった他の自転車の泥除けを指差しながら嘯いている。よくもまあ、しゃあしゃあと言えたものだと感心ている場合ではない。

友人が業を煮やしたのかかけつけた。警察は再び「君はこの男が盗んでいるところを見たか?」彼は「確かに見た」と答えた。これで手続き完了だ。

僕はこれに対して、オックスフォードのホームレスが段ボールで「HOMELESS」と看板つくって道路に座っているエピソードをかえした。冗談のような風景だが、ホームレスですらクレーム(主張)をするのが、この社会の宿命なのである。

「犯罪社会」のメールをまじえ、さらにT氏はいう。

クレーム社会は、社会の個人に対する意思疎通の基本がずさんであること関係があると思います。ずさんと言ってしまえば、「社会制度が市民に対して一方的にいいかげんなおかげで、人々は何かと不便し、わずらわしい思いをする」といったように、とくにわれわれ日本人にとっては否定的な意味合いが強調されますが、これを大雑把ととらえれば、よい意味でもこれは徹底されています。

「ずさん」と「こまやかさ」というキーワードを使ってぼくはこの問題を読み解いてみた。そして同時にそれは、「他者をそのままでは理解しえない」ものとするか、「他者と理解し合えていることを前提にするか」という「他者」に対するスタンスの違いに由来するものであろうという指摘をした。

これをもう少しわかりやすく噛み砕くと、「自分と他人は違う」というところから出発するか、「自分と他人は同じ」というところから出発するかの違いであると考えることもできる。

「自分と他人は違う」とする社会では、「相手が自分の行動に対してどう思うか」を予測して行動することが非常に難しい、というより、それは一旦保留する。そのかわり、反応のいかんによっては自分の行動を変えることを前提に、とりあえずやってみることが許されている。順序としては、だからこそクレーム社会が必要となる

クレーム社会の潜在的な大雑把さは、何でもやらかす人々の社会そのものだとおもう。

ではクレーム社会からは遠い日本の人々は何でもやらかす人々ではないのだろうか?そうでもないと思うのだが、日常生活においてどこか多くの人々の行動規範には大介さんの指摘したような閉塞感がある。閉塞間は日本人にとっては常識と道徳の一部だ。

日本で「何でもやらかすこと」は「思い切り」のいることである。つまり、特別なこととして受け止めているのではないか?

たとえばそれは祭りであったり、権力であったり、反権力であったり、天才であったり、変人であったり、天狗であったり…。

アメリカには「思い切りがいい」とかって特に特別扱いされない。思いついたことは基本的に何をしてもいいとみなが思ってるから、いってみればみな思い切りがいい。なんでも自分が良かれと思うことはその場で発散していく。

クレーム社会では、とりあえずおこなわれた「ずさん」な相手の行為に対し、もし不都合があるならばこちらの意志を理解してもらう必要が求められる。そのための約束事として自分の主張の「客観性」を相手に対して証明しなければならない。その客観性は「法」であったり(しばしば「形式的」な)論理的整合性に依拠する。行為の言語化に対する執拗なこだわりがこうした社会の特徴である。

一方「自分と他人は同じ」という社会では、ルールの客観性が相対的に不明瞭であり、多くの場合それは行為者によって恣意的に解釈される必要がある。つまり行為を言語化するかわりに、「どんな行為が相手に不都合を与えるのか」を事前に自分で「気配り」する事が求められるのである(しかも天狗とは別名「異人」であるが、日本では「天狗」になるとそれだけで叩かれるのだ!)。

極論すれば、どんな行為であっても相手が「迷惑」だといえば「迷惑」になる可能性があり、しかもそれを事前に察知なければならないのであるから、その文化や社会に十分慣れていない人にとっては、身動きがとれない状態が作りだされる。そして、これを逆にとれば、たとえ法に反していても「(非常にせまい関係性の中で)相手が」それを求めるのであれば、そうふるまうことがもっとも軋轢が少ない選択とされる。

「人に迷惑をかけなければなにをしてもいいのか」

この問いにたいしてもしクレーム社会の人間であれば「そりゃ当然だろ。迷惑かけていないのになにが悪いのか」と答えるだろう。しかし日本の若者達(だけでなくたぶん日本人の多く)がこの問いを口にする背景には、共犯社会を温存しながらも「なにが人の迷惑になるのか、自分だけの判断では分からなくなってきている」という現実を反映しているように感じる。

「人を殺すのはなぜいけないのか」

同様にこの問いも興味深い。「それはすごい迷惑だからだ」という答えではダメなのだろうか。「殺す」ということは相手がクレームする権利を一方的に消し去る方法であると考えれば、それはクレーム社会においては最大級の犯罪となる。(まてよ幽霊という手があるな、「たたり」を社会化すれば死者からのクレームもまた有効か・・・冗談はさておき)

クレーム社会ではなにをしてもいいかわりに、相手のクレームを聞かなければならないし、もしそれが正しいならば自分の行為を撤回しなければならない(相手のクレームがおかしいのであればそれを相手に伝えなければならない)。それがこの社会関係を成り立たせるための最低限の約束である。

他人と共犯関係を維持する社会おいても、もちろん「人を殺すこと」はタブーである。これはおそらく「他人は自分であり、自分もまた他人である」という説明から導き出されるのだろう。共犯社会では自己と他者の境界が曖昧である。

ところがここに中途半端にクレーム社会の価値観が導入されると、これまで「殺してはならない」とされてきた根拠が浮遊し、「なにをしてもいい」という自分の行為ばかりが肥大し、相手のクレームを受けるという肝心のもう一方の約束事がなおざりにされてしまう。

「共犯社会が壊れそうで壊れない」。現代の日本の自己と他者に対するスタンスは、このあたりで微妙に揺れ動いているようである。

さて「共犯社会」などと書くと否定的な部分ばかり強調される。そこにひっかかる人がいるようだ。いうまでもないことだが、(たとえそれを支配や権力関係に利用する悪い奴らがいたとしても)この社会システムははじめから「共犯」を意図してつくられたのではない。むしろ、この仕組みはある社会の中での「共存」を目指して考え出され、熟成されてきた「知恵」であろう。

だから日本に住んでいるとよほど自覚的にまわりをみないと、日常の隅々まで行き渡るこの共犯性を見失ってしまいがちである。しかも、時にそれは「とてもうまく働いている」のだ。(だからといってそれは「見えない」だけで「ない」わけではない。クレーム社会に身を置けば日本の特質は否が応でも実感できるだろう)

社会システムの中に異質性がまし流動性が導入されたときにはじめて、その「善意の共存」は、「うざい」「おおきなおせわ」「勝手だろ」という言葉にならない不快感の表明とともに、否定的な姿をあらわにしはじめる。しかし肝心の悪意なき共存関係は、本人たちが悪意はないと思い続けているかぎりなくならないだろう。言葉にならない違和感が「共犯性」という概念に焦点を合わせはじめるのは、さらにその先の話なのである。


最後に無痛社会である。ここでもういちど「人に迷惑をかけなければなにをしてもいいのか」という問いを思い出してもらいたい。

無痛分娩は(もし技術的に胎児に影響を与えないのであれば)誰に迷惑をかけるわけでもない。実害を受ける者から正当なクレームが出ないかぎりクレーム社会の論理では手がつけられない。一連の考察を進めながら、クレーム社会の限界のひとつをぼくはこのあたりに感じている(現実は「いやそんなもの限界などではない」と突き進んでいくのであろうが・・)。

かつてロッククライミング中に滑落し重傷を負った経験を持つT氏は、「痛み」についてこう語る。

もうずいぶん古い話ですが、大介さんもご存知のように私は大怪我して入院しました。この件で私は2度「痛み」というものに遭遇しました。

一度は当然事故現場と、その後2週間ほどの生傷のいえていない入院生活。二度目は自然治癒では将来的に不安と、判断しての一年後の手術の後の入院生活。今思い出そうとして、記憶が薄れてきていることに気づいたが、この二つは私にとってかなり違う「痛み」だった。

(事故現場で)

レスキュー隊がやっとのことで私とパートナーが待機していた岩棚、つまり私の墜落現場まできてくれた。彼らにいった私の一言目は「痛み止めを打ってください。」だった。彼らは医師ではないので基本的にそういうものの類は携帯していないらしい。「なんでもってないねん。」私は恨めしそうに言った。「意味あらへんがな。何しにわざわざここまで来たんや?」ここまで、口にしたような気もする。少なくとも本気でそう思ったことは鮮明に覚えている。後にこれが自分の本性だと思った。

半ば強引に「滑車つき砂袋シート」とでも言うようなものでしたまでおろしてもらった。ひたすら痛かった。抱えてもらったり縛られたりするたびに激痛が襲い、このときが痛みのピークだったように思う。

病院に到着してすぐに痛み止めを打った。「すぐに打ってくださいと」お願いしていたと思う。お医者さんには「君、自覚してないみたいだけど、重傷だよ」って、いわれた。

(手術後の入院生活で)

いったいいつから考えだしたんだろうかまったく定かではない。その約一月の入院生活で偏頭痛を起こしかけた夜中に、お願いしてもらった痛み止め一度を除いて、痛み止めの投与は拒否しつづけた。頭痛を起こしたのも痛みに耐えてよく眠れない夜が続いたためでもあるのだが、とにかく痛みと正面向き合おうといつからか決心していた。複合的にいくつかの要素がある。

1.すべてをありのまま見つめ、受け止め、理解し、受け入れする、自分なりの仏教哲学の実践をするいい機会だとも思っていた。

2.わざわざ旧ユーゴスラビアくんだりまで人の痛みを見学にいった自分への実践的な課題だとも受け止めていた。これはもはや避けては通れない。

3.いともたやすく薬を投与する現代日本医療への反証を試みるつもりでもあった。

4.いとも簡単に看護婦さんたちに薬を頼むどう病棟の人たちをみて、「看護婦さんが薬の運び屋に成り下がっている。これでは彼女たちの尊厳が危うい」と、彼女たちの尊厳回復に孤軍奮闘しようとした。

5.自分の体をもっとよく知りたいと思った。

6.事故現場での自分を振り返ったときのやるせなさへのケジメみたいなも の。

ぼくの最近の痛み経験といえば昨年の「ぎっくり腰」くらいのものであるが(これも脊椎の神経を直接刺激するのだからバカにした痛みじゃないのです実際のところ)、痛みから逃れたいとという欲求とない交ぜになった奇妙な生の実感があった(周りの人にはさんざん迷惑をかけたのであまり格好いいことはいえないのだが)。もちろん痛いのは嫌なのだ。嫌に決まっている。しかし一方でビビッドな生の実感。

この屈折した二つの感覚を結びつける糸はどこにあるのだろう。

この件で別の人から出生前診断に対する意見をもらった。妊娠した女性が(本当はその精子提供者も含め)将来の苦しみを排除しようとすることと、障害者を排除しようとする思想が重なるという指摘だ。実は、ここ数年ぼくはこの出生前診断のテーマを授業で取り上げ、学生たちと何度もディスカッションをおこなっている。(いずれ多くの学生たちが直面する現実で、かつ直面したときにはほとんど考える時間がないという意味で、極めて実用的な課題だろうという意図もある)

胎児の人権。妊婦の人権。優性思想。生命倫理。検討しなければならない問題は数多くあるが(結論を出すのが授業の目的ではない、そもそも、ぼくの授業にはどれも結論などない・・・)、それだけでは語り尽くせないもっと深い問題があるようにいつも感じる。

先のぎっくり腰の原因となった事件もふくめ、フィールドでの経験はぼくの体にさまざまな傷を残している。家が倒れてきて重い屋根の下につぶされたこと。数度にわたるマラリアの発病。そして急性の肝炎でヤップ島に倒れた夜。自覚のないまま突然死とニアミスを起こしたり、意識が朦朧とする中で生まれたときからの走馬燈を見て死を覚悟したり。フィールドはろくでもない経験をぼくに強いる。それでもまたフィールドに向かう。

ぼくとT氏やりとりの中で「修行」と「尊厳」という言葉が飛び交った。T氏は「通過儀礼」と「痛み」の関係を指摘する。フィールドの体験と、それを経たあとでの今のぼく、そしてぼくの尊厳とは非常に密接な関係がある。しかし、あえてこれを言葉に直して書くと「痛みや苦しみを排除するのは、痛みや苦しみに対して失礼ではないのか」という冗談のような話にしかならない。あるいは「生きることは苦しみや痛みを経験することだ」と書いてしまっては言い過ぎだろうか。それで死んでしまっては元も子もないが・・・だからといって、死ななければ良いというのも「遊園地のバンジージャンプ」のようにいかにも浅い・・・(バンジージャンプはもともとバヌアツで行われてきた通過儀礼である)。だからいっそ死んでしまっても良しとするか。

「痛み」を受け入れるという行為には、共犯社会もクレーム社会も手を出すことができない「私だけの領域」があるのだろうか(あってもいい・・・しかし、そんなもの「すら」ないかもしれない)、本当はこのあたりをもうすこし普遍化したいところだ。まあ、いずれにせよ考えるべきことはたくさん残されていると思うので、いつものように結論の出口はこのまま開けておくことにする。

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