[KOK 0271] こくら日記のトップページにとぶ 20 Apr 2006

秘儀「自由な結合」上杉貢代と三上寛

 

上杉貢代と三上寛
上杉貢代 with 三上寛
L'union libere 〜自由な結合〜

蠕動する指先から腕につたわる緊張に、からみとられた眼をそらすことができない。凍り付いた空気のなかで、くっきりと浮かび上がる紅蓮の影。真っ白な身体が唐突に闇の中を舞う。数十年かけて削りとられてきた彼女の身体は、一切の不要なものをまとわぬ生ける彫刻となった。微細な動きのひとつひとつが、まさしくそうでなければならない、一瞬の間すら許されない圧倒的な必然性を誇っている。

上杉貢代と三上寛

そしてそれは今、いよいよここで完成されたものだ、10年前にはまだこの世になく、10年後には失われてしまうだろう一刹那の姿だ。人生によって刻みつけられたスティグマにあらがうように舞い踊る肉体。こきざみにふるえる張りつめた肉体。小首をかしげる姿に17歳の少女が浮かぶ。

上杉貢代と三上寛

微分化された時間の断片は、日常を生きる私たちの眼にはふだんみることができない瞬間をあらわにしている。すなわち彼女は時間の流れを自由自在に操るのだ。いや時間が彼女に従うのだ、彼女の身体の趣くままに。静止は永遠を志向する。それは永遠の生とあるがままの死を志向する即身体成仏なのである。なまめかしい生と死の恐怖。乱気流の中ダッチロールを繰り返す航空機のように、あるいは重力加速度Gを極限まで追求した最新型のジェットコースターのように、頂点から谷底に突き落とされ、そこにたちあう者をなんども死の瞬間に陥れる。冷や汗で背筋が凍り金縛りになるまで、繰り返し、繰り返し死の淵をみる。

凝固した部屋の窓がひらく。冷たい空気が室内にながれこむ。さしこむ光の中に霧のような細雨が幾筋も映える。われわれはようやく日常の時間に解放された。いったいどのくらいの時間がたったのだろうか。雨の降り注ぐ速度だけがまるでメトロノームのように正確な時間を刻み、時間も歴史も超越した真っ白な後姿が救済のように生の確かさを伝えている。

上杉貢代と三上寛

秘儀「自由な結合」をみた。場所は若松の旧古河鉱業ビル。大正八年にたてられた煉瓦建ての洋館だ。秘儀の名にふさわしく、目の前で上杉貢代と三上寛に強烈な呪いを浴びせられた。

上杉貢代と三上寛

この十界曼荼羅の絵図において、上杉貢代が菩薩ならば、三上寛は閻魔である。そしてテント芝居上海素麺工場の役者である支那海東と天津甘栗が邪鬼となって暴れまわる。ガラスのような崇高で繊細な上杉にたいし、地底から湧き上がった泥人形の三上が挑みかかる。曼荼羅は巡回し生と死の輪廻を繰り返す。自由な結合。聖と俗。天界と衆生。(芸術と大衆?)古びた洋館の一室で小さな宇宙が生まれた。

上杉貢代と三上寛

昨年の水族館劇場テント芝居制作に加わった縁で、「自由な結合」北九州公演を手伝った。はじめて上杉貢代の映像を見た瞬間にこれはただごとではないと感じた。大学に入学したばかりの一年生たちに、講義を通じて呼びかけた「うまく説明できないがものすごいことがおこるはずだ」。講義もまだ2週目で私のこともよく知らないうえに、大学という世界になにを求めていいのかさえ解らないうちに、彼らが出会う最後のチャンスがやってきてしまったのだ。人生とはそんなものである。すべて一期一会である。同じことは二度とおこらない。たとえ、あとになってその重みに気づいても、すでに失なわれた時間を取り戻すことはできない。

上杉貢代と三上寛

最終的に自らの好奇心を信じた者だけがそこにいることを許された。400名ちかい私の講義の受講生の内でわずか30名だけがその瞬間に立ち会うことができた。この経験は間違いなくかれらの学生生活を変えるだろう。いや、たぶん人生を変えるだろう。そうやって、くねくねもだえながら人は死に向かって蠕動する。私はまだふるえている。

上杉貢代と三上寛


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