[KOK 0268] こくら日記のトップページにとぶ 10 Mar 2006

グルクン大将

 

はじめて石垣島を訪ねたときからはや20年になろうとしている。以来フィールドの時間と日常の時間は、ほとんど交わることなく並行に続いている。商店街の様子は少しずつ変わり、ホテルも増え、道の車も多くなった。私はおおよそ1年ごとに島をたずねるマレビトだ。あいさつもそうそうに、久しぶりにあった人々と酒を飲み交わしながら、断片的な時間の隙間を埋めていく。濃密な物語が高速回転で展開される。こどもたちはすっかり大きくなり、みんな少しずつ歳を取っている。

グルクン大将

翌日、島の障害者リハビリ施設を訪ねる。漂白された病院の匂いの中で、車イスやベッドに身をまかせる人々。海の見えるここは窓も大きく雰囲気は暗くない。3月とはいえ石垣島は夏の陽気だ。クーラーのほどよく利いた部屋の中で、伊計恒吉さんにあう。

グルクン大将

一年前と同じ部屋で、一年前とさほど変わった様子もなく、私の方をじっと見つめる眼。「おひさしぶりです」ぎこちなく声をかける。「あれ竹川さん、今年は南方にいつ行くか?」ゆっくりと口から漏れる声。鋭い眼が私を離さない。伊計恒吉、グルクン大将、かつて石垣の海でアギヤーという潜水追い込み漁を率いてきた海人だ。

20年前、毎日のように大漁を繰り返す伊計組を知らない人は、この八重山の海にはいなかった。私はその組の一番下っ端として入門し、船に寝泊まりし海をあるいていた。大学院の一年生。初めての本格的なフィールドだった。その頃の伊計さんは海に焼けた茶色の髪の毛でいつも海をにらんでいるとても恐ろしい存在だった。30人近いメンバーがいるアギヤーの組の中でも伊計さん以上の潜り手はいなかった。厳しかった。しかしながらいつもは無口な伊計さんが、大漁の日に冗談をいいながら笑う姿が、むしろ不思議と思い出される。

伊計さんは10年少し前に、重篤な潜水病にかかり死線をさまよった。ちょうど私が一時的に沖縄の調査からはなれソロモンに通っていたころだ。一命は取り留めたが、胸から下は麻痺したままで、寝たきりの生活つづく。3年ほど前に自宅を離れこのリハビリ施設に入所した。伊計さんまわりでは身体の不自由な老人たちが、それぞれの辛苦を背負いながら生活している。

近況を報告したあと、ベットの横にいすを運び座る。一年ぶりの再会、しかしここに流れる時間はほとんど止まったままである。疲れさせてはいけないと思いながら、ついつい部屋に長居をしてしまう。「これまでに死にかけたことが3回あるよ」船の上では聞くことがなかった海人伊計の半生。「はじめは13歳の時。サバニで5日間流されたさ」。

グルクン大将

窓の外にはおだやかな石垣の海。「水が大事だよ、水がないと人間は死ぬよ、でもサバニには水がなかったよ」「サバニの櫂がおれてよ、水中カッパ(ウエットスーツ)を帆にして進んだよ」「3人乗ってたさ、ふだんは厳しかった親方が死ぬと思って優しくなったよ」「魚は載っていたけどすぐに腐って食べれなくなったさ」「南風だったさ、岸に着いたとたんに暴風雨になったよ」「着くのが遅れてたらどっちにしても死んでいたね」

ときおり苦しそうに胸を押さえながら、話を続ける伊計さん。「なんの感覚もないのに急に痛くなるさ」しばらくのあいだ言葉が出てこない。断続的な沈黙がその場を覆う。「2回目はレギ(スキューバのレギュレータ)が止まったときだったさ」「30メートルの深さだよ」「急にエアが出てこなくなってよ」深海からの急浮上は潜水病に直結する。伊計さんは潜水病の恐ろしさを知り尽くしていた、しかし、突然のアクシデントは避けようがなかった。

そして3回目もまた潜水病。風邪をひきながら漁に出たその日は大漁だった。海にはまだ魚が沢山いた。「欲を出さず帰れば良かったさ」「疲れてもいたんだね」その瞬間、海の底で伊計さんの身体がブルブルと痙攣したという。「ふつう潜水病は上がってくるときになるさ」いままでにないことだった。海面に浮上したときは心臓が停止していたという。「夢もみなかったさ」その後の4日間の意識はない。気がつくと沖縄本島の病院にいた。身体はまったく動かなかった。身体の全体が泡立つような激痛が走る。このまま気づかなければ痛くなかったのに。生きていたことが苦しみだった。

グルクン大将

センターの若いスタッフが洗濯物をもって部屋に入ってくる。「この人は大学の先生だよ」伊計さんの言葉に一瞬、怪訝そうな顔をするが、聞き間違えたと思ったのだろうか、かるく聞き流す。「はい、このパンツは伊計さんのかな、違うかな」子どもに話しかけるような言葉を使う。伊計さんも何十人いる施設の老人たちのひとりに過ぎない。「この人は八重山の海で一番の漁師で、グルクン大将と呼ばれていたんだよ」私は、そう言いたかったのだけど言えなかった。彼に解ってもらえるだろうか?スタッフはタンスに衣類を入れると部屋をでていった。

「ここで働く若い人は半分は内地のかただよ」「一年くらいで帰る人も多いさ、動けない人ばかりで大変だから」福祉を志した若いスタッフは日々のケアに忙殺される。条件の違う入所者の一人ひとりに、どんな介護が必要かということを把握し、食事と、薬と、排泄と、お風呂と、リハビリの管理をしながら老人たちの間を駆け回る。でも、その入所者ひとりひとりががどんな人生を歩んできたかは、日々の生活の中ではほとんど関係ない。

グルクン大将

「砂糖たべるか?」伊計さんが言う。「南洋の漁も面白かったさ」まるで昨日あったことのような物語。病床でなんどもなんども反芻されたにちがいない確かな記憶。気づくと3時間がたっていた。辞そうとする私に寂しそうな伊計さん「今日はいろいろあった一日だなぁ」。いいわけをするように返事をする私「木曜まで石垣にいるから、また来るから」。

できれば、ここに何日もかよって伊計さんの話を聞きながら一日をすごしたい。今回の滞在ではできなくても、そのために時間を割くことは無理ではない、これは私の責任なのかもしれない。伊計さんの海の記録を譲り受けた者として、八重山一の糸満漁師の物語を残せるのは、私しかいないのかもしれない。ベットの上に伊計さんを置き去りにし、後ろ髪をひかれながら激しい葛藤の中で自問する。私の仕事とはなんだろうか?知り合ってからの20年という年月が私に託す老海人の記憶、一方で彼の一生の重みから私は逃げようとしている。

もし、私が彼の話を聞き書きし、それを本にして、もし、この施設の若い職員たちがそれを読んだら、たぶん、本が出ればみな読むだろう・・・、そんなことを夢想する。そうすれば伊計さんはもっと誇り高く残りの人生を生きられるだろう。そしてその本を読んだ人は彼を忘れることはないだろう。

グルクン大将

建物出ると同時に沖縄の強い日差しをあび、軽くたちくらみを感じた。とたんに別の時間が流れ始める。しかしこの海が見える丘に立つ白い建物の中で、日常の中で忘れかけていた時間が、いつまでも私を待っている。フィールドというのはそういう場所である。


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