[KOK 0228] こくら日記のトップページにとぶ 15 May 2003

地球に飯を作ってもらう

 
4輪駆動の自動車に入り切れぬほどの荷物を詰めて登場するや、
長方形に折りたためる青いテーブルセットと、
牛が飼えるようなばかでかいテントを、
シャワー・トイレ付きのキャンプ場に設営して、
ドラム缶のようなバーベキューコンロと、
通販で注文したばかりのダッチオーブンをこれ見よがしに取り出すと、
近所のホームセンターで買ってきた炭に、
カセットボンベ取り付け式のガスバーナーで点火し、
焼き肉のタレのにおいをぷんぷんあたりに撒き散らしながら、
趣味はアウトドアですなんていって、
バンダナの上から脂ぎった頭をぽりぽり掻いて、
映画監督がロケに使うような折りたたみいすに座ると、
発泡酒のプルタブに手をかける。

そういうビーパル野郎にはうんざりだ。野営には野営のポリシーがある。

装備は自分で背負えるだけに軽量化し、その行程は可能な限り自分の足で踏破し、水や食料はできれば現地で調達し、少なくとも燃料くらいは自力でかき集め、自分が気に入った場所をみつけて寝泊りする。ただし、うまい酒だけは持ち込み可とする。それが私の理想とする野営だ。

アウトドアといいながら、町にいる時以上にゴミを出し、食料を無駄にし、燃料を消費するのは、どうにもこうにも許せない。ソロモンでの生活は、森や海の恵みを最大限に利用していた。べつに彼らはアウトドアをしているわけではない。知恵さえあれば身のまわりにある自然を利用して日常の暮らしだって可能なのだ。私はそこに究極的な生活の美を感じる。

だからせめてアウトドアと称してわずかな日々を野外ですごすのであれば、ガスや石油などの化石燃料には頼りたくないし、このごろ流行の炭だって東南アジアのマングローブ林を破壊しながら作られているようなものは使いたくない。できるかぎり持続的利用が可能で、自分の力と知恵を最大限に働かせて手にいれらるものを使って生活を楽しみたい。

さて、考えてみれば、森の山菜も、海の魚も、薪になる小枝も、こうした自然の恵みのほとんど多くは、太陽のエネルギーによって生まれたものだ。世界のさまざまな地域で古代の人々が太陽と豊穣を結びつけ、「天」を命の恵みと崇拝してきたのには、それなりの理由がある。

それに対して「地」はどうか。私たちは地球に住んでいるにもかかわらず、地はしばしば死や災いの象徴となり、おどろおどろしい悪の帝王のすみかであると語られる。地はとつぜん揺れ動き、地割れを起こし町を破壊し、有毒ガスや溶岩を吐き、不気味な地鳴りをとどろかせる。地は天に比べるとずっと制御不能で不可解な存在なのだ。

先週の日曜日に「地獄キャンプ」を決行した。別府の山の中に地熱の噴出地帯がある。そこはちょうど谷筋になっており、地下水が硫黄分を大量に含む蒸気とともに地表に吹き上げ、滾々と温泉が湧き出ている。

そんな「地獄」でわれわれは何をしたか。地球にご飯を作ってもらったのである。沸騰する熱湯の上に鍋と蒸し器を置き、噴出する高温の蒸気を利用してかまどを作り、火をまったく使わないキッチンができあがった。そこで卵、地中海風蒸し鶏、中華風蒸し鶏、温野菜、中華粽、点心、味噌煮込みうどん、蒸しパンを料理したのだ。

キャンプ中のすべての調理は地球任せだ。何度か失敗するうちにだんだん上手になっていく。疲れ知らずの料理人地球くんは、まあたしかにちょっと硫黄くさいけれども、それなりにおいしくて体によさそうなご馳走を私たちに出してくれた。そのうえ、24時間いつでもはいれる露天風呂まで用意してくれるのだ。ほんとサービスいいじゃない。

いつも太陽さんばかりにお世話になっている私は、生まれてはじめて地球くんに料理を作ってもらって、「地球くんも結構いいとこあるじゃん、いわれているほど悪いやつでもないんじゃないかな」なんて感じた週末であった。


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