成人儀礼

[KOK 0194]

21 Jan 2001


もともと私は式典とか儀礼とかにはあまり興味がないのかもしれない。成人式はおろか学生時代は入学式や卒業式も自主的に欠席させてもらったくちだ。今の若い人だって成人式なんてぜんぜん興味もない人がたくさんいるはずだけど、なぜかそういう人のことはちっとも報道されない。

それどころか、沖縄のヤンキー連中は以前から成人式の日には樽酒を飲んで大騒ぎしていたのに、今年に限って事前に報道陣が待ちかまえて警察まで導入。マスコミによってつくられたやらせ同然の映像にどんな意図があるのか知らないけど、どうでもいいさぁとひとり白けている。

初恋の人にでも会いに行くのならともかく、儀式としての成人式なんて、この時とばかり振り袖を見せびらかしたいニワカお嬢さまと、来るべき選挙のために票田開拓をしたい政治家の利害がたまたま一致しているだけのことで、それ以上たいして意味があるとも思えない。遊園地に行きたければ自分で行けばいいのだし、どうせありうべき正しい成人式など、いつの時代にもどんな場所にもなかったのだから、しきたりをうだうだいってもしかたない。

同様に人類学者として式典や儀礼をみたときに、その規範を外から記述するような研究にはさほど関心がない。規範はあくまで儀礼の場のだんどりを理解するための前提でしかない。囲碁のルールを知っていることと囲碁が強いこととが別の次元であるのと同様に、象徴交換の構成的規則を知っていることとそれを楽しむことは別の次元の問題だ。

ましてや囲碁と違い象徴交換には、あらかじめ確乎たる規範があるかどうかすらうたがわしい。伝統やしきたりには、そのときどきで一見それらしい規範がみえたとしても、それは決して外から与えられたものではなく、実際には言語とおなじように常に内部から変化していくものだろう。だから、儀礼を通じて交換されるモノにはとても興味はあるが、常に逸脱し変化していく儀礼そのものは、いわば交換ための単なるシカケのようなものだと思っている。

というわけで(どういうわけだ?)明後日からバヌアツへ行く。はじめて滞在するフィールドだ。とても緊張している。バヌアツといえばバンジージャンプとエロマンガ島。その程度の知識しかない。空港に降りたってその先どこにいくのかなにも決めてない。

そういえばバンジージャンプもまた成人儀礼であったな。木で組まれた櫓の上から足首に蔓を巻きつけ、命を賭けてとびおりる極めて危険な儀式。振り袖と選挙演説などという退屈な交換ではなく、こちらは大人になるか命を失うかの決死の交換だ。日本の成人式も、このくらい大事なものを交換するのなら、それなりに緊張感が生まれて楽しくなるとおもうよ。

New▲ ▼Old


[CopyRight]
Takekawa Daisuke