豚の血

[KOK 0192]

20 Dec 2001


なにもかも浮遊している。言葉ばかりがしらじらしい。

この国の政治や風土もこんなに刹那的であったのか。なるほどこれではアフガニスタンなど「関係ない」わけだ。帰国してあらためて日本を見る。

イギリスにいるあいだじゅう謎だったこの国の新しい首相は、口が達者なこと以外は、総すかんを食らった前の首相と「本質的」に変わらないように見える。もっともちょうど一年前、彼の友人議員が主流派に反旗を翻したときの対応を思い出せば、そのお里など簡単にしれようものなのに。

結局、なにも良くなってはいない。ぬるま湯の政官産癒着構造の中で育ってきた者に構造改革などできるはずもなく、失業率と不況はよわいものを標的にしながら悪化の一途、どさくさに紛れて戦争のための端緒をひらくという記念すべき禍根をのこし、対アジア外交は最悪のまま内に内にと籠もっていく。

聞こえのいい言葉で翻弄された「国民」は狐に化かされたようにポカンとしている。なんだろうこの気の抜けた二日目のシャンパンのような雰囲気は。

70年代から80年代に一世風靡したポストモダン。私の学生時代はまさにそのまっただ中にあった。既成の枠組みを脱構築するあざやかな視点の転回。鋭利なナイフで小気味よく腑分けされる虚構の幻想。言葉遊びに翻弄されつづけるリアリティ。

しかし私自身、ポストモダニズムの先兵を果たした人類学という学問を選びながら、その最前線でどうにも煮え切らない違和感を感じつづけてきた。

たとえば構造主義もポスト構造主義も、私がフィールドで「わかった」こととは遙かにかけ離れた「説明」の仕方だった。

これまでその違和感をうまく表現ことができなかった。しかし今回のアフガニスタンでの「戦争」を、イギリスという攻撃する側の地から眺めながら、ようやく「なにが問題なのか」という糸口が、私なりに見えてきたように感じている。

世に出た頃の批判的精神をすでにうしなったポストモダニズムは、今や、いわば立派なオーソドックスとなり、イデオロギーから自由になったつもりの一知半解なポストモダン談義が巷にあふれている。そして猫も杓子もネオリベラリズムだ。

そんな風潮のなかで、相対主義は他文化に対する無関心を覆い隠すためのニヒリズムと結合し、本質主義批判は「差異」の問題を「境界」の問題にすり替える詭弁としてこの手の論者の常套手段となっている。

(いわく、世の中にはおたがいに理解できないさまざまな文化があるのだから認識の問題を論じても仕方がない。あらゆる文化はその境界が恣意的で曖昧なゆえに、その違いを語ることは幻想以上の意味はない。政治や経済はもっとシンプルで力学的に、そう、市場の論理から考えればわかりやすい。・・・などなどなど。)

こうした主張は、いっけん革新的に見えて、その実、たんに現実を追認しているにすぎない。市場さえ持ち出せば国家やイデオロギーは、煙のごとく消えさるとでもいいたいのだろうか。

今回のいくさが始まる前に、「アフガニスタンと戦争をおこなえばアメリカの経済は破綻するだろう(だから戦争はだめ)」と予言した「進歩的反戦論者」がいた。市場の論理にのせなければ、戦争反対という「希望」すら語ることができないのだとしたら、この手の論者の思索の貧困性は目を覆うばかりである。

同じ時期イギリスのマスコミは、アメリカが落とす爆弾の1日あたりの経済効果を計算していたし、ヨーロッパの国々はコソボ紛争のときと同様に戦後の復興で一儲けしようと虎視眈々としていた。自衛隊派兵という布石をうった日本もまた例外ではない。よその国の橋を壊してあとからその橋を直す。言い古されたマッチポンプの論理だが、やはり戦争は儲かるのだ。

こうした状況の中で、たとえばもし戦争反対を語るのであれば、人を殺すことの意味から地道に考えていくよりほかになかろう。人間の思惟や知性は自由ではないし、けっして完全に可変でも恣意的でもない。言葉遊びの中で漂流する混迷から、さらに一歩抜け出すためには、もう一度、人間の身体の限界性を悟るべきであろう。そして自分の身の回りから生まれる「操作的」な世界理解を再検討すべきであろう。

きのう沖縄から帰った。

イギリスに行く前の年の夏以来、2年ぶりの宮古島である。

春を思わせる暖かな空気とここちよい海の風。船が島の港に着いたとたん、頭の中にもやもやとたまっていた物が一気に流れ去るのを感じた。「帰ってきた」のだ。不思議なことに北九州ではほとんど感じなかった生活の実感が、この瞬間ようやく自分の中に蘇ったような気がした。宙に浮いてばたつく足が、さっと地面にさわったようなそんなリアリティだ。

島では昼間から忘年会の真っ最中だった。そんなところにあらわれた私は、いわばネギを背負った鴨のようなものであった。懐かしい顔。次々に差し出されるお酒や肉。

翌日は、たまたま話を聞ききにいった人が海に行くというので、何の準備もなくいきなり船に乗った。島の近くで船に乗って揺られていると、そこに大きなマンタがあらわれた。マンタは船の周りを悠々と泳ぐと深海に消えていった。

そして、私がもうかれこれ15年近くお世話になっているお宅の、新築3年祝いが始まった。寝泊まりさせてもらっている新しい家の前で、朝早くから豚が4頭つぶされた。

頸動脈を切られ、首から血を噴出しながら四本足ですっくと立つ豚。とくに段取りを決めるわけでもなく、手際よくそれを肉にしていく男たち。600人の客に振る舞われる大鍋。

家の中では、女たちが神願いをしている。夜には神懸かりながら祈りを続ける。部屋の中に立ちこめる煙。神に語りかける老婆のつぶやき。

私がそこにいようがいまいが島の時間はたぶん同じように流れていくのだろうけれど、それでも私が今ここにいることの意味を考えてみたい。この巡り合わせとここで営まれている生活を単なる幻想といってしまっては、フィールドワーカーとして失格だろう。豚の血にまみれた手でコップを握り、注がれるままに酒を飲み、朦朧としていく記憶のはしで、ひさしぶりに地面の感触を確かめる。

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Takekawa Daisuke