カタロニア賛歌

[KOK 0177]

14 Aug 2001


情熱の国スペイン。だれがこんなキャッチコピーをつけたのだろう。日本人のわれわれがスペインに期待しているものは、ちょっと暑苦しくてカラムーチョな雰囲気であろう。ぼくも実際そういう先入観をもってこの国にむかった。だがしかし、当のスペインにはそんなアミーゴな誘惑や緊張感はどこにもなかった。もしかするとわれわれが知っているスペインとは、イタリアやメキシコやアルゼンチンなどの国々のイメージが渾然一体となってつくられた虚構の姿かもしれない。

スペインはヴィヴィッドなパッションとはおよそほど遠い、どこかぼんやりとした国であった。そもそも、みなちゃんと働いているのかどうかもよくわからない。油断するとすぐに昼寝タイムだ。電車の中でも乗客はグウグウ寝ているし。食べ物もトウガラシなど使わないぽわんとした感じのオリーブオイル炒めばかりだった。

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サボテンとバルセロナ

泥棒の国スペイン。出発前にスペインにはドロボウが多いからと注意された。ガイドブックやホームページにもそう書いてある。世界中のスリが集まっているとか、ジプシーが花をもって近づいてくるとか、地下鉄には子連れのドロボウ一家が住んでいるとか、アイスクリームには気をつけろとか、そんな話である。いったいどんな国なのだろうと、これまたへんてこな先入観をもって挑んだが、まあ、このドロボウに関しても完全に拍子抜けであった。

たしかに繁華街でときどきそれらしく思われる人を見かけなくもなかったが、それよりも圧倒的に多かったのが、素人のぼくでもねらえそうな油断だらけの日本人観光客だった。

手に手に高価なカメラをもち、ここに財布がありますよといわんばかりの腹巻きカバン。みなひとりでいるときは過剰にピリピリしているが、その反動か、集団になったとたん「独自の安心感」を得て群がっている人々(よくもわるくもかの国はそういう国なのね)。だから観光バスの集合場所にまぎれてしまえば非常にねらいやすい。毎日毎日これだけ新しいカモがいれば、ドロボウ稼業もそうそう苦労しないだろう。

ぼくの旅の原則には「首都はできるだけさける」というのがある。街の活気や喧噪にはたしかにそれなりの魅力はあるのだが、人口が30万人を越えると人々は急によそよそしくなる。そもそも観光地と呼ばれる場所にはほとんど興味がない。写真で見られるものを自分の目で再確認してもしかたがないと思っている。どの国にいっても「三大がっかり」などと呼ばれる観光名所の話は聞くが、そもそもなぜわざわざそんな物を見に行かなければならないのかさっぱりわからない。こういうツアーの背景にあるのはある種のコレクションや巡礼の感覚なのだろうか。

それでも、バルセロナのガウディだけは見た。見た、というよりその建築現場に立っててみたかったのだ。いいわけをすれば、時にこうして行きあたりばったりに原則が破られるのも、もうひとつの大切な旅の原則である。

そして、いったいどんな奴らがこんな物を造ろうなどと大それたことを考えたのか、それが知りたくなった。人に会うには田舎がいい、この場合、人口10万人以下が一応の目安である。ガイドブックに載っていないというのも条件である。ただしあまり小さすぎるとこんどは旅人がいられる場所がないのでほどほどの感じの。

カタロニアの田舎を目指して旅を続けた。しかし、宿の人のアドバイスにしたがってバスを降りると、そこはなぜかフランス人が大挙してバカンスにやってくる地中海の海岸なんぞだったりした。それはそれで面白かったのだが・・・。

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変な日本

口の悪いフランス人に言わせれば、ピレネー山脈より南はすでにヨーロッパではないという。確かにそういいたくなる気持ちはわからなくもない。イベリア半島の乾いた大地はアラブや北アフリカを思わせる。そしてヨーロッパ史をイスラムの側から眺めてみれば、中世のスペインの繁栄は中東やアフリカに花開いた巨大な王国の照り返しにすぎない。トルコとスペインは当時貧しかったヨーロッパ世界の玄関口だったのだ。

しかしいつのまにか肥沃な土地と豊富な資源が生み出した華やかで巨大な王国の時代はかげりをみせ、富と権力を背景に外部の人々を引きつけたイスラム世界は衰退する。そして、国民という内向きのアイデンティティをもつ構成員たちがつくりあげた、西ヨーロッパの勤勉な新興国がそれにとってかわった。

よるべのない都市労働者達に市民という称号を与え産業革命へと駆り立てた新興国は、やがて力をつけ封建領主をもうち倒す。それにともない市民社会は都市から田舎へと波及し、ナショナリズムという新しいアイデンティティを背景に領土と同族意識を拡大し国民国家を形成していく。

ところがのんきなスペインは、その国民国家の形成が遅れてしまった。かつての栄光の残照に甘んじるあまり、国民国家なんて資源のない貧乏国がすることだと、それほどまじめに対応しなかったのだろうか。気がつくとすでにまわりのヨーロッパの国々はすべて苦悩の道を選んでいた。

本格的な国民国家同士の戦いである第二次世界大戦が始まって、スペインはようやくひとりデモクラシーを模索する内戦に没入する。ファッシズム、アナーキズムが暗躍するスペイン内戦はいわば近代世界の縮図ともいえる。興味深いことに第二次世界大戦において強いナショナリズムをめざしたドイツとイタリアがやぶれたあとも、国家主義的なスペインのフランコ政権は1975年に彼が死ぬまで温存された。このぬるま湯的な鷹揚さがよくもわるくもスペイン的なのかもしれない。

すでにヨーロッパは連邦国家への道を模索しはじめている。アメリカや中国のように民族や言語を越えた(あるいみ無視した)さらに巨大な共同体の実験である。スペインは中国でいえば、ちょうど東南アジアと接点をもつ海南島かヴェトナムのような境界に位置する。ジブラルタル海峡をはさんで北アフリカのモロッコと連続するスペイン、ケルト民族以前のヨーロッパにおける最古の孤立言語バスク語が残るスペイン、いまだ過去のしがらみをうまく精算できず、南米の元植民地への援助を求められ青息吐息のスペインにとって、ヨーロッパの新しい実験への参加は、むしろ幸いかもしれない(それが良い物かどうかは別にして)。

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タマゴ屋娘

さて宿の近くの海産料理屋の店主は北九州の魚茂の大将そっくりであった。「ハロー」と話しかけると「エイゴだめ」と申し訳なさそうに返事をする。申し訳ないのはスペイン語も知らずにこの国に来ているこちらの方である。しかもここはカタロニア語。カタロニア語はスペイン語と違いRの音が巻き舌ではなくフランス語風であった。この辺では英語はほとんど役に立たないが、学生の時に4年間苦労したいんちきフランス語がことのほかよく通じる。カタロニア語とスペイン語が併記されている案内をしばしば見かけたが、そんなところにも国家的統一を免れたこの国の国語の現実を感じられた。

ひとつ植民地支配のやり方をみても「イギリス人」にくらべると「スペイン人」というアイデンティティはとても曖昧である。たとえばアメリカでヒスパニック系と呼ばれる人々はスペイン系アメリカ人といわれながら一方で有色人種に分類されている。世界各地でやたらめったら混血し土着化したスペイン人とスペイン文化。文化的純血性をめざす国民国家が幅を利かす今の時代には一周遅れを走っているが、もし次の時代に国民国家にこだわる必要がなくなるのであれば、スペインくらいのスタンスがちょうどよいのかもしれない。クレオールやディアスポラという言葉はスペインのためにある。

無敵艦隊、闘牛、フラメンコというイメージとは裏腹に、スペインはかくもおおざっぱでいいかげんな国なのであった。そうしてカタロニアの田舎は、まるでおじさんたちの天国のようであった。昼間からレストランだかバーだかよくわからないような店に入り浸り、ワインを片手にタパスをほおばるたくさんのおじさんたち。子供のように遊び、子供のようにうたた寝をする大人たち。

ずぼらで、いんちきくさくて、ちょっとシャイなそんな雰囲気。対照的に、生真面目で忍耐強くて粘着質なイギリスから来ると、これはかなりほっとする風景である。たしかにこの力がぬけたいい加減さと、過激で前衛的な芸術とのあいだには妙なギャップを感じるが、案外、ああいうへんてこなものは、こんな場所から生まれるのかもしれないと思う。少なくとも発展とか進歩とかを気にするあまり目先の浮き沈みに汲々としているようでは、青々と育った苗も穂をつけないままひたすらでかくなるばかりだろう。

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Takekawa Daisuke