自然に生きる
30 Jul 1999


潜水漁をしている海人に弟子入りした。八重山から帰ってきたら、さっそく海をまわることになりそうだ。サバニを駆使し一日に数十箇所の漁場を渡り歩く海のハンター。数ある沖縄の漁法の中でも、もっとも過酷に魚と対峙するのが潜水漁だ。

サバニの上にはモリのほかに釣具や小さな追い込み網ものせている、風の向きと潮の流れを読み取りながら、一瞬一瞬でかわる海の状況に合わせて、漁具を使い分ける。

すこし話をしただけでも、彼らの魚の生態や漁場の微地形に関する知識が、いかに膨大なものであるかをうかがい知ることができる。たとえば、10メートル移動するだけで潮の流れは大きく変化し魚の群れが集まってくるという。それを知っていなければ漁はできない。潜水漁は島影で漁をおこなうため出漁率も高く、台風でもこない限り一年中ほとんど海に出ている。


人の営みとして「自然に生きる」ということを目のあたりにすると、環境主義を基盤にした昨今のエコツーリズムの発想がいかに貧弱で脆いものであるかがよくわかる。

自分たちのいる快適な環境は確保したままで、手なずけられた「安全な自然」をときおり訪ねては、それを観賞したり、賛美したり、癒しを求めたりする。こんなことで「自然」についてどれだけ知ることができるというのだろう。むろん家にとじこもり、カウチポテトの生活に溺れているよりは、まあ幾分かはましだろうと思うが、たとえエコツーリズムをある種の疑似体験だと考えてもかなり質は悪い。

アウトドアやサバイバルといった言葉も好きではない。「自然に生きる」ということはなにもそんなに特別なことではない。サバイバルどころかありふれた日常であるべきなのだ。

明日から西表に行く。西表のだれも住まない海岸で、その日に食べるものを自分たちで取りながら生活する。むろんこれも疑似体験ではあるが、エコツーリズムとは対極をいく。そしてけっこう楽しい。

いうまでもないことだが当分、通信はできない。八重山旅の報告は、8月10日すぎになるとおもう。

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Takekawa Daisuke