モノと値段の不思議(原価篇)

[KOK 0099]

19 Mar 1999


明日から富山に行く。時間の調整がうまくつかず、片道は飛行機で行くことにした。福岡から富山には1日1便だけ飛行機が飛んでおり、運賃は片道で27400円。 今、話題の新航空会社スカイマークを使えば、ちょうど東京と福岡の間を1往復できる価格である。需要と供給を考えれば、こういう値段設定も仕方ないのだろうか?しかし、どうも腑に落ちない。

スカイマークの値引き運賃に対抗して3月から日航・全日空・日本エアシステムも福岡−羽田間全68便のうち33便の価格を半額に設定したという。新規参入のスカイマークつぶしをねらった戦略だといわれている。利用率が減り、スカイマークが白旗あげたら元の価格にもどすのだろう。ひどい話だ。

このところ、国際線北米便の値下がりが著しい。カナディアン航空を利用したニューヨーク往復で61000円なんていう商品も売り出されている。ニューヨークはアメリカの東海岸であり、両都市間の距離は1万キロをこす、福岡東京間は約900キロだから、ざっと10倍である。

100キロあたりのコストになおせば東京紐育往復6100円。東京福岡往復30500円。福岡富山往復78000円。どうかしてる。これだけ値段に差があると、需要と供給なんておいといて、とりあえず原価はいくらなんだろう、いくらだったら採算がとれるのだろう、そのあたりがとても気になる。

そこでジェット機の燃費を調べようと手元の航空実用事典を探したが、燃費の記述があいにく見つからない。しかたないので、「こくら日記」流にアバウトに考えてみよう。

飛行機はジェットエンジンを使って高速で空を飛ぶのだから、燃費がかかりそうにも思えるが、手で紙飛行機を投げるときのことを考えると、いったん飛んでしまえばエネルギー的には大したことはないのかもしれない。紙飛行機は同じ力を与えたおもちゃの電車よりも速く遠くまで進むような気がする。地面との摩擦がないのが強みである。それに移動も一直線だ。すると、航空運賃の多くは、燃費以外の空港維持費や保険などの諸経費か?

ところで日本の航空運賃は鉄道運賃とのバランスを意識して設定されているという話がある。福岡−富山の電車の運賃は、のぞみと雷鳥を乗り継げば19580円。バスだと福岡−金沢で12000円。所用時間と価格を考えればたしかにある種のバランスがとれているようにも思える。

ただ、あくまで移動のエネルギー効率にこだわると、バスより鉄道のほうが安くてもよさそうな気がする。力積の大きい電車は、速度が出れば慣性の力が有効に働く。しかし、現実には日本の鉄道料金はおおむねバスより高い。なぜだろう。

その原因として特に「土地」の問題は無視できない。鉄道会社は自前で列車が走る土地を持つが、バスは公共の道路を走る、飛行機に至っては空である。地価の高い日本にとってはこれは大きなハンディキャップになる。つまり、われわれがはらっている鉄道運賃の何割かは、土地に関するコストなのである。なんだか不思議な話である。

コストの話で同様に釈然としないのが、牛乳と清涼飲料水の値段である。スーパーなんかにいくとパックの牛乳が1リットル200円くらいで売っている。自動販売機の缶ジュースは、350ミリリットルで120円、1リットルに換算すると約340円。

このごろはやりのニアウオーター系の清涼飲料水は、ただの蒸留水にミネラルや香料などの添加物を加えただけの代物である。

一方、牛乳は酪農家が牧草地を整備し、手塩にかけて育てた牛から生産される貴重な生物資源である。生ものである以上その精製や保存にも相応の手間がかかっているはずだ。なにしろ、もともと牛の乳児を育てるための液体なのだから、栄養バランスにも優れている。

このようにあらゆる面でコストがかかっている牛乳の値段が、なぜ工場で人工的に作られる清涼飲料水ごときに負けるのか。その理由が解せない。これも需要と供給のなせる技か?しかし清涼飲料水の供給が不足しているという話は聞かない。あるいは牛乳がだぶついているのか。それはあるかもしれない。

牛乳は鮮度が命である。日本では高温殺菌のロングライフ牛乳が幅を利かせているが、それでも通常の賞味期限は2週間程度に設定されている。皮肉なことに、牛乳は賞味期限内にどうしても売り切らなくてはならないから、値段を高くすることができない。原価を回収するためのぎりぎりのラインがこの値段なのだろう。

それなら逆に、生産や輸送の手間もかからず保存の心配もいらない清涼飲料水の値段が、こんなに高いのはなぜだろう。納得できる説明はなかなか思いつかない。高くしなければならない理由はないような気がする。ただ、まちがいなくいえることは、清涼飲料水の広告がちまたにあふれているという事実だ。つまり、われわれがはらっている清涼飲料水の値段の何割かは、宣伝費に関係するコストなのである。なんだか不思議な話である。

最後に一番納得いかないモノの値段。電話代。

これまでの議論を踏襲し、テレビの電気代と比較してみよう。私の研究室あるテレビは約60wである。このテレビを24時間1ヶ月つけっぱなしにしよう。60×24×30=43200Wh。九州電力によると、従量電灯Bで30アンペア契約をしている人が43.2kWhの電力を一ヶ月で使うと、1601円である。ただしそのうちの半分以上が基本料であり、実質の電気料は715円である。

1ヶ月間、電話を使いっぱなしにしたらどうなるか。3分10円の市内料金で計算すると、200×24×30=144000円(基本料金別)、なんとテレビの200倍である!しかもこれは最低料金の市内電話。長距離電話ならこの比はさらに大きくなる。

いったい電話の何にそんなにコストがかかるのか?電信柱や電線の維持費ならば、電話も電気もそれぞれ必要だろう。たしかに電話は回線の接続に特殊な技術料がかかるのかもしれない。インターネットが普及するまではそんな伝説も信じられた。しかし、いったん設備ができあがってしまえば、電気信号の分配がきわめて廉価な技術で可能なことは、すでに証明ずみである。

電話でつかう電力はきわめて微弱なものである。そして電力会社のように、商品そのものにコストがかかる「エネルギー」を売っているわけではないのだから、電話代を従量制にする必然性はどこにもない。ましてや長距離と短距離の価格に差をつける理由はほとんどない。

たしかに電話は便利である。会って話をするよりも、ずっと低コストなコミュニケーションを可能にしているというのが売りである。しかし実はそれもさえも疑わしい場合がある。100kmはなれたふたりの人が電話で2時間話すと、3分80円×40=3200円。実際にあうのならJRを使って往復1620円×2=3240円。人間の肉体をつかった物理的な移動と、微弱電流のバーチャルな移動にかかる値段がほぼ同じになってしまう。

ともかく電話代は高すぎる。われわれがはらっている電話代は、いったいどこに消えているのか、こればっかりは、さっぱりわからない。なんだか不思議な話である。

【追伸】この件に関して、JR関係者から内部情報が送られてきた。なるほど。

99号で交通機関の運賃の内訳を考察してましたが、大体当ってます。普通に、単純に考えるっていうことが、実はとても正確なんだなあと思いました。

新幹線のエネルギー代=電気代は、東京〜大阪でざっと1人300円くらい。すごく安いですよね。一番金がかかるのは多分、土地代+設備代、つまり新幹線設備買取で発生した金利支払いだったりします。(国鉄債務の残滓でもありますが・・・)

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Takekawa Daisuke