あってない3

[KOK 0075]

09 Dec 1997


九州地方の共通語化した方言(新方言)の「あってない」あるいは「あっている」は、行為の(継続した)状態をあらわしており、これにもっともちかいニュアンスの言葉は、「やっている」「している」だろう。

また、「あっている」の語幹であり、物の存在をあらわす「ある」は人の存在をあらわす「いる」「おる」との比較も可能である。

以下、「授業があっている」という文をもとにいくつかの言葉との比較をおこない、「あっている」という言葉がさししめす意味の輪郭を捉えようと思う。

「授業があっている」とはいうが「授業をあっている」とはいわない。「授業をしている」とはいうが「授業がしている」とはいわない。この三者は非常によく似た意味の言葉でありながら、格助詞(あるいは主語)のとりかたを見ると微妙な使い分けがなされていることがわかる。

【表1】 あっている やっている している
授業が ×
授業を ×

「授業が」のほうは、「授業」そのものが主語であるのに対し、「授業を」の場合には主語(たとえば先生)が明示されないまま意識されている。

厳密に言えば、「授業がしている」という言葉遣いが誤用であるのと同様、「授業がやっている」という言葉遣いもイレギュラーであろう。(「やる」の主語は、授業ではないのだから)。しかし、慣用として共通語では「お祭りがやってる」「テレビがやってる」などまかり通っている。以上から「やっている」は「している」よりも、行為の主体が薄められている言葉であることがわかる。

しかしこのようにイレギュラー化した共通語でも「授業がある」とはいえるが「授業がやる」とはいえない。九州新方言の「あっている」は、このジレンマを見事に回避しているともいえる。なぜなら「あっている」の主語は紛れもなく「授業」だからだ。

さて、ではこの新方言のもととなった方言ではどう使い分けがなされているだろうか。ありよる(ありよぅ・あっとぅ)しよる(しよぅ・しとぅ)について同じ表をつくってみよう。

【表2】 ありよる やりよる しよる
授業が
授業を ×

問題は「授業がしよる」という言い回しである。私は薄学にしてこの語用がどのていど実際に使われているのかどうかしらない(使われているような気はするのだが)。「授業がしよる」(形式的には誤用であるが)が許されているのかどうか、そのへんは今後の調査を待ってほしい。

つづいて「ある」「いる」「おる」の関係である。先にのべたように「あっている」は「授業があっている」のように「継続した行為」の意味を含むが、「まだみかんがあっている」というように「継続した存在」の意味もある(ほんとかな?このへんちょっと怪しい。ネイティブの人、もっと用例を送ってください)。(もしかしたら「あっている」にはすでに存在の意味はないのかもしれない、そうだとすれば以下の論考は再検討であるが・・・)

「いる」と「おる」はどちらも「人(動物)」の存在をあらわす動詞である。そういう意味で「物」の存在をあらわす「ある」との比較が可能である。しかしおもしろいことに、新方言に「あっている」という言葉づかいはあるが「おっている」という言葉づかいはない。方言には「いよらす」「おりよる」などの表現が許されているにもかかわらずである。 【表3】 ある いる おる 方言 ○ありよる ○いよる ○おりよる 新方言 ○あっている ×いて(い)る ×おっている

「いている」については大阪弁に「いてる」という時間の継続をふくんだ人の存在をさす言葉があるのは興味深いが、少なくとも九州地方の新方言にはそれは見当たらない。

さて、「あっている」は使われるのに、「いている」「おっている」が使われない理由は何だろうか?この論考のまとめとして、ひとつの仮説を提示したい。

「あっている」「ありよる」というのは、もともと「存在」をあらわす動詞「ある」から派生したものであるが、使われ方としては「行為」をあらわす意味にシフトしている。その過程で、本来の行為の動詞「やっている」の語用にひきずられ、「やっている」では文法上問題があった、「目的語」を主語におきかえた表現を可能にしたのではないだろうか。これは主語(行為の主体)をできるだけ隠蔽しようとする日本語の一般的傾向にも合致する。

こうした意味で「あっている」という言葉は、独自の地位をもち、従来の語彙の不完全さを補う、大変便利なものになったといえる。九州人がこの言葉をなかなか手放せないないのも、むべなることだ。

さて「存在」と「行為」の動詞(存在を動詞の範疇に含めるかどうかには議論があると思うが)の比較については、英語の be と do の研究では結構やられているような気がする。日本語の場合はどうなのだろう。残念ながら私は言語学の知識が乏しいので、なんとなく頭の中で考えられるのはこの程度である。こんご事例が増えればもう少し美しいお話を作れるかもしれないね。

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Takekawa Daisuke