【イルカの歯をめでる人々】

ソロモン諸島マライタ島において近代貨幣と併存する原始貨幣が意味するもの

日本オセアニア学会 NEWSLETTER

No.53:4-12 1995

モノのやりとりにおける貨幣の存在を、情報交換における言語の役割に比する考えかたは非常に魅力的である。貨幣も言語も日常生活の舞台では水や空気のようにあたりまえな存在でありながら、そのじつきわめて文化的な、あるいは人間くさい所産である。情報や価値といったとらえどころのない抽象的な概念を運ぶ「媒体」として、この両者はわれわれの前に姿をあらわす。貨幣も言語もいっけん具体的でとっつきやすそうな役者である。数字におきかえてカウントすることもできれば、文字という形で記録することも可能だ。なにより研究者にとって幸いなことに、記述に還元できるというだけでなにかわかった気にさせてくれるのである。

しかしこれがやっかいなくせ者であると気づくのに時間はかからない。媒体として両者が運んでいるものの実体はいったいどこにあるのだろうか、なぜそれを運ぶために特別に両者が選ばれているのだろうか。貨幣や言語の役割はみためほど明快ではない。貨幣がなくてもモノのやりとりができるように、言語がなくても情報のやりとりは可能である。あるいは、貨幣がときに媒体の役割をわすれてモノとしてふるまうように、言語もまた情報そのものとしてふるまいうる。

近代合理主義的な視点からみれば、貨幣や言語は厳格な規則と論理性によって支配された壮大な体系である。しかし、いっぽうでその体系の中にしばしば不可解な逸脱や変動が発生する。これまでおおくの経済学者や言語学者が、貨幣や言語の謎をときあかそうと努力してきたが、ほとんどのばあいこうした不可解な現象は、無視できる程度の雑音か些少なゆらぎにすぎないとみなされてきた。川の流れのなかに突如発生する小さな渦のように、予測不能で脱論理的な危険性をはらむ諸現象が、貨幣や言語そのものの属性に由来する本質的な問題であると指摘されはじめたのは、ごく最近になってからである。

canoes さて、このへんでほころびが目につきはじめるまえに大風呂敷をたたんでしまうのが賢明かもしれない。残念ながら、この小論では貨幣に関するなんらかの理論的な意味づけをおこなうところまではたどりつかない。ここでわたしが紹介するのは、ソロモン諸島のマライタ島で現在も広く流通している伝統的な原始貨幣と、近代貨幣経済がもたらした通貨との葛藤と相克にかんするいくつかの具体的な事例である。

ソロモン諸島では国家の通貨としてソロモンドルが使われており、1994年には首都の銀行で、1ソロモンドル=0.31USドルのレートで交換されていた。これはソロモンドルが世界の通貨とリンクしていることを意味し、日本円とのあいだでも1ソロモンドル=32円の交換レートが成立している。こうした近代貨幣をなかだちとして、ソロモン諸島とわれわれ日本国はひとつのひらかれた商品市場を形成しているといえる。

いっぽう貝や動物の歯、鳥の羽根などを利用した財貨はオセアニアの多くの地域で散見され、それぞれにローカルな価値体系を形成している。わたしの調査地であるソロモン諸島マライタ島でも、特定の貝殻を加工してできた直径5ミリほどのビーズや、ねもとに小さな穴をあけたイルカの歯を、ひも状に連ねて作った原始貨幣が広く利用されていた。

はじめに、基本的な知識をごく簡単に整理しておく。イルカの歯は一般的にニフォイア(南部ラウ語)とよぶ。古くはカズハゴンドウのものが使われていたが、現在ではやや小型のハシナガイルカやマダライルカの歯が主流となっている。原始貨幣として使われるばあいは、1000本のイルカの歯が束になったトニイアという単位がふつうである。これらのイルカの歯はイルカ漁をおこなうことができる特定の村によって供給されている。現在ではマライタ島南部ファナレイ村がその中心地となっている(*1)。

貝貨は、言語集団によって主要なものが決まっており、マライタ島には大きくわけて数タイプの貝貨が流通する。さらにこれらは細かい形状の違いによって複数の名称がつけられている。この小論では、とくに断りのないかぎりタフリアエというタイプの貝貨を、イルカの歯との比較においてとりあげる。タフリアエはマライタ島北部を中心にもっとも広く流通している貝貨であり、長さ2メートルあまりの10本のビーズの束をひとつににまとめたものが交換の単位となる。タフリアエはマライタ島中西部のランガランガ地域の村々で生産されている。

さて、原始貨幣がやりとりされるのはおおくのばあい個人間の贈与交換においてであり、フルサイズの原始貨幣がローカルマーケットで商品の売買につかわれるのはまれである。ここで「フルサイズの」ととくに断ったのは、原始貨幣のなかには、それ自体が細かく分割され、小さな単位で利用されるものがあるからである。こうした利用もマライタ島の原始貨幣のあり方を考えるうえで重要であるが、わたし自身はこのような流通形態と、本来の原始貨幣としての流通形態とはわけて分析すべきであると考えている。したがって今回の議論の俎上にはのせずにおきたい(*2)。

原始貨幣の用途は、近代通貨にくらべて限定的であるばあいが多い。マライタ島では、婚資や香典、賠償金、懸賞金などの支払いのほか、ブタ、カヌー、土地、家屋などの重要な財の売買のさいに請求される。なかでもブタを育てて売ることは、とりたてて財を持たない人にとって、原始貨幣を手に入れるためのもっとも有効な手段であるという。

イルカの歯や貝貨はこうした特殊商品と、一定のレートで交換されてきた。たとえば、トニイア(1000本のイルカの歯)は2000個のヤムイモや、1匹の小型のブタと交換することができるといわれている。タフリアエ(貝貨)のばあいも同様に、1本で2000個のヤムイモか、1匹のブタと交換された。

ところが、ここから話がややこしくなる。おおくの人々は、ひとつのトニイアは5本のタフリアエに相当する価値を持つと話している。ブタやヤムイモとの交換のさいにはほぼ同じ交換レートをもっていたイルカの歯と貝貨には、実は5倍もの価値の差があるというのだ。さらに詳しい説明をもとめると彼らはこういう。「実際にはトニイアとタフリアエが『直接』交換されることはない。だから両者の価値を直接比較することはできない。しかし、たとえば10本のタフリアエを婚資として要求されたばあいに、そのうちの5本を1本のトニイアに代用したり、10本すべてを2本のトニイアで代用することが許されている。なぜならば、ひとつのトニイアの価値は5本のタフリアエに相当しているのだから」まるで詭弁のようだが、こうした考え方は実効力をもって機能している。

さらに近代貨幣の登場が事態をより複雑にする。かつては、貝貨やイルカの歯を現金と交換(購入)することはタブーであったという。いまでもなるべくそうした交換をさけたいという話はよく耳にする。しかし実際には、現金収入を生活の基盤にする人の増加にともない、ローカルマーケットなどで原始貨幣が売りにだされている風景をしばしばみかけるようになった。いつのまにかタブーは解消されてしまったのだ。

現金との交換が可能ということは、それが商品としてあつかわれ、値段がつけられるということを意味する。現在、マライタ島における交換では、トニイアは400〜1000ソロモンドル(以下たんにドルと記す)で売買され、タフリアエには1本150〜600ドルという値段がつけられている。ここで重要な点をひとつ指摘しておけば、イルカの歯のほぼ唯一の供給地であるマライタ島南部のファナレイ村では、毎年イルカ漁の季節がはじまる前に村会議がひらかれ、イルカの歯の値段が確認されているということである。1994年にはトニイアの値段は500ドルであった。

さて話をもどそう。現金は原始貨幣とはことなり、需要と供給におうじて柔軟に商品との交換レートを変える。1個のヤムイモは通常ローカルマーケットで30セントから50セントで売買されている。ここでさきほどの話を思い出してほしい。トニイアもタフリアエも2000個のヤムイモとの交換が認められていた。現金で2000個のヤムイモを買おうとすると、600〜1000ドルがかかることになる。トニイアやタフリアエの現金との交換レートはすでに書いたとおりである。すなわち現金で買うよりも、原始貨幣で買ったほうがときとして2倍以上もわりがいいことがわかる。この矛盾には村人たちも気づいており、最近では、トニイアやタフリアエは1000個のヤムイモと同価とするという新しい交換レートが定着しつつある。

しかし、交換レートの矛盾のすべてがこのように解消される方向に進んでいるわけではない。たとえば、すでに気づいたかたもいるかもしれないが、ドルとの交換においてトニイアとタフリアエの価値はさきに指摘したものとはさらにちがった比率を示している。つまりトニイア対タフリアエの価値は、ヤムイモを基準にすれば1:1、現金を基準にすれば2:1、婚資をめぐる村人の言説では5:1となる。

冗長になるので詳しくは述べないが、こうした価値の齟齬は、ブタの売買をトニイアでおこなったばあいと現金でおこなったばあい、婚資を現金で要求するばあいと原始貨幣で要求するばあい、とりひきにほかの原始貨幣が介在するばあいなど、いたるところに表出している。そもそも、現金での売買は都市部と村では価格差があり、供給量による価格変動も大きい。たとえば村で1キロあたりおよそ1ドルの鮮魚が、街ではおよそ4ドルで売られている。ヤムイモのばあいでも3倍ちかくの差がある。ところが、原始貨幣による売買では、地域や季節による違いはほとんど考慮されない。交換レートがほぼ固定されているからである(*3)。

こうしたさまざまな矛盾が見えかくれするにもかかわらず、マライタ島では原始貨幣と現金が併存しながら流通している。たしかに、ソロモンドルという新しい貨幣は、商品を限定せず、ほかの島や外国でも通用し、細かい価値の違いも表現できるたいへん便利なものである。しかし、村人たちは複数の原始貨幣を根づよく愛用している。人々は口ぐちにこういう「ソロモンドルの価値は時代とともに減っていく。村のストアで去年までひとつ1ドル50セントだったツナ缶が、今年は2ドルになったではないか。だが、貝貨やイルカの歯の価値はずっとなくなることはない」外貨との為替の変動や国内のインフレによって、ソロモンドルの価値は目減りしてきている。貨幣が貨幣であるためにもっとも大切な要素である「信用」という点において、原始貨幣はソロモンドルより高く評価されているのである。たとえば、ブタや家などの重要な財の売買のさいに、売り手から現金ではなく原始貨幣が求められたばあいには、買い手はなんとしても(現金で第三者から原始貨幣を買い求めてでも)原始貨幣を用意しなければならないのだという。

複数の価値体系が併存するさいのもっとも大きな問題点は、異なる価値体系にまたがって相互の交換をみとめてしまうときに生じるだろう。それを防ぐためには、原始貨幣と現金との交換をゆるさず、たがいに閉鎖的な価値体系をきずくというのがひとつの方法である。こうした点で原始貨幣どうしであるトニイアとタフリアエが直接交換できないという事実は、複数の価値体系の共存のありかたに示唆をあたえるものである。しかし、原始貨幣を現金で購買することにたいするタブーは、すでに過去のものとなってしまった。

異なる価値体系のあいだの交換を無制限に許していけば、そこで商品を循環させる者があらわれ、累積的な利潤をえることになりかねない。この小論であげた例でいえば、現金(300ドル)→貝貨(タフリアエ)→ヤムイモ(2000個)→現金(800ドル)という交換の成功によって500ドルもの利益が生じる。マライタ島ではこうした問題をどのように回避しているのだろうか。

わたしはこれまでの調査のなかで、これらの矛盾を村人に指摘したことがなんどかあるが、ほとんどのばあいあからさまにいやな顔をされ、しばしばこう諭された「お金をおまえのような考えで使うのは間違っている。そういう者はいずれ誰からも相手にされなくなるだろう」人々は決して矛盾に気づいていないわけではなく、社会的な抑制によってこうした考えをおもてだてず隠蔽しているように思える。

今の段階ではまだ資料が不足しておりはっきりしたことはいえないが、原始貨幣の交換が成立するにはさまざまな条件があるようだ(*4)。たとえば原始貨幣とヤムイモの交換は自由にいつでもどこでもおこなえるわけではなく、大量のヤムイモが贈与品として必要であったり、近々饗宴をひらく予定であったりと、それ相応の理由がもとめられる。さらに、誰と誰がどんな交換をしたかという話題は、ひんぱんに社交の場でとりあげられる。これは、匿名性が高くオープンな市場もつ近代貨幣とはまったく対称的な特徴である。

また、ソロモンドルのインフレに対抗して貝貨やイルカの歯は、交換レートをかえている。交換レートの変更には政府などおおやけの機関が介入することはないが、かならずしも自然発生的に決まっていくばかりでもないようだ。たとえば、すでにのべたようにイルカの歯については、その生産地の村会議が人為的にコントロールしている。この会議で1000本のイルカの歯の値段は、1980年代に300ドルから400ドルにひきあげられ、1994年にはさらに500ドルに変更された。

最後に、これほどの努力をはらってまでマライタ島の人々が価値体系の併存をもとめようとする理由について若干の考察を加え、この稿をおえたい。わたしは、彼らが複数の価値体系を使い分ける能力にたけているという印象を調査のなかでしばしば感じた。彼らの説明は必ずしも論理的であるとは限らないが、非常に具体的であり実際的である。「現金とちがって、イルカの歯や貝貨はたいへん美しいものであるから価値を失うことはない。これこそが本来の貨幣のありかたなのだ」「いつでも貝貨が必要な人はいる。現金を持っていなくても村ではなにも困らないが、貝貨がないとたいへんである。息子が結婚できなくなる。これではみんなの笑い者だ」

また、いっぽうで、価値体系が一元化されてひらかれたものなるのを、彼らがおそれているようにも思える。たとえばイルカの歯や複数の貝貨のようないくつかのとじた貨幣共同体に身をおくことによって、特定の貨幣が価値を失ってしまう危険を分散させている、と考えるのはあまりに単純すぎるだろうか。マライタ島の原始貨幣について考察していると、ついつい、英語と現地語が融合してできあがった特有のピジン英語から、なにか類推できないものかと考えてしまう。ソロモン諸島では、近代貨幣がまるでピジン英語のように原始貨幣の価値体系に融合し、併存しながら流通しているのだというアイデアにこのごろわたしは頭を悩ませている。

(*1)
イルカ漁にかんしては、 拙稿 1995「ソロモン諸島のイルカ漁-イルカの群を石の音で追込む漁撈技術」『動物考古学』Vol.4:1-26 動物考古研究会
拙稿 1995「イルカ漁の一日・狩猟の正体あるいは幸福をめぐって」『季刊民族学』Vol.74:32-49 千里文化財団

(*2)
イルカの歯や貝貨の流通形態による特徴は以下の拙稿にまとめた。
「イルカ歯貨」 『ソロモン諸島の生活誌』明石書店

(*3)
この小論でしめした数字は、すべて竹川が1990年から1994年の3回にわたり、マライタ島の南部地域を中心おこなった観察とききとりのデータをもとにしている。ここではとりあげなかったがマライタ島における原始貨幣の交換レートの矛盾にかんしては島内の別の地域で、後藤、マランダが同様の指摘をおこなっている。かれらが示した値とわたしが得た値には大きなへだたりはなく、こうした複数の価値体系からくる交換レートの矛盾が、マライタ島ではかなり一般的であることを示している。

マランダ、ピエール 1983 「構造とコミュニケーション」 『現代思想』Vol.11(4):48-67 永淵康之 訳 青土社

後藤明 1994 「貝貨を作る人々〜ソロモン諸島マライタ島」『イルカとナマコと海人たち』115-140 秋道智彌 編 日本放送出版協会

(*4)
今後さらにこの地域に足をはこび、事例を収集し考察を進める予定である。



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