【狂146】
96/03/27
■そんなとき、昨年の「文化人類学」の授業でわたしが提出をもとめた、レポートの束がでてきた。前期の試験の解答である。捨てるに捨てられず、どうしようかと考えて、百人分をこす原稿を、漫然とよんでいた。
■試験の問いかけは、「他者(異文化)を理解することの困難さと、理解するための手がかりについて、思うことを書きなさい」というものだった。
■いろいろな解答があった。理解できない父親のことを書く人、外国での体験を書く人、恋人との不思議な出会いを書く人。「思うところをかけば、正解である」と授業では、いってあった。
■そのなかに、ひとり、文章の最後に詩をつけてきた者がいた。「先生のためにこの詩をあげます」と書いてあった。ちょっときざである。こういうのはたいてい、困るのだ。そういえば、採点をしているときも気になってはいた。
■あらためて、もいちど、よんだ。詩は中原中也のものだった。
「 酒 場 に て 」 中 原 中 也
今晩あゝして元氣に語り合つてゐる人々も、
實は、元氣ではないのです。近代というふ今は尠くも
あんな具合の元氣さで
ゐられる時代ではないのです。諸君はぼくを、「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?されば今夜かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。さて、輝き出でる、諸君は云います、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ。」が、冗談じゃない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。
■わたしのへたくそな授業から、この人がなにを感じとったのかは知らないが、わたしはけっこう打ちのめされた。うれしかったのだ。わたしは、この人を好きになれると思った。
■この詩をわたしにくれた人が、どんな人なのか、まったく知らない。数十人をこす教室のなかで、この人は、じっとわたしの授業を聞きながら、ひとり、わかっていたのだ。
■他者を理解するという能力は大変なものだ。気持ちを伝えるということも大変だ。
■しかし、ほんの、ときどき、それが見事に、はまってしまったりする。それだけのはなしなのだけど。