彗星のゆらめく夜に

【狂146】

96/03/27


ようやく引っ越の準備をはじめた。彗星のゆらめく夜に、いろいろな人のことを思いながら、京都の生活を箱の中につめていた。

そんなとき、昨年の「文化人類学」の授業でわたしが提出をもとめた、レポートの束がでてきた。前期の試験の解答である。捨てるに捨てられず、どうしようかと考えて、百人分をこす原稿を、漫然とよんでいた。

試験の問いかけは、「他者(異文化)を理解することの困難さと、理解するための手がかりについて、思うことを書きなさい」というものだった。

いろいろな解答があった。理解できない父親のことを書く人、外国での体験を書く人、恋人との不思議な出会いを書く人。「思うところをかけば、正解である」と授業では、いってあった。

そのなかに、ひとり、文章の最後に詩をつけてきた者がいた。「先生のためにこの詩をあげます」と書いてあった。ちょっときざである。こういうのはたいてい、困るのだ。そういえば、採点をしているときも気になってはいた。

あらためて、もいちど、よんだ。詩は中原中也のものだった。


 「 酒 場 に て 」     中 原 中 也

 今晩あゝして元氣に語り合つてゐる人々も、
 實は、元氣ではないのです。

 近代というふ今は尠くも
 あんな具合の元氣さで
 ゐられる時代ではないのです。

 諸君はぼくを、「ほがらか」でないといふ。
 しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。

 ほがらかとは、恐らくは、
 悲しい時には悲しいだけ
 悲しんでられることでせう?

 されば今夜かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
 輝き出でる時もある。

 さて、輝き出でる、諸君は云います、
 「あれでああなのかねえ、
 不思議みたいなもんだねえ。」

 が、冗談じゃない、
 僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。


おどろいた。

わたしのへたくそな授業から、この人がなにを感じとったのかは知らないが、わたしはけっこう打ちのめされた。うれしかったのだ。わたしは、この人を好きになれると思った。

この詩をわたしにくれた人が、どんな人なのか、まったく知らない。数十人をこす教室のなかで、この人は、じっとわたしの授業を聞きながら、ひとり、わかっていたのだ。

他者を理解するという能力は大変なものだ。気持ちを伝えるということも大変だ。

しかし、ほんの、ときどき、それが見事に、はまってしまったりする。それだけのはなしなのだけど。


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