【狂34】マエラシ その8

94/10/6

■オイウ老人はここまで語ると、ひとしきり満足そうにタバコを吸った。村の真昼は 長い。大きなタライいっぱいにはられた水の上にうかぶ木の葉のように、時間はゆっ くりとなめらかに移っていく。やがて木の葉がタライのはしにたどりつく夕暮れの一 瞬まで、まだずいぶんと時間があった。

「とてもおもしろい話でした」

■私は煙をふかすオイウ老人に言った。

「それはよかった」

■老人はうなずく。物語が終わると、とたんに子供たちはアバロロの木をはなれ、ふ たたび浜に遊びにいってしまった。アバロロの葉が風にゆれてざわざわと音をたてた。

「海の口はもう二度と村にあらわれなかったんですか?」

「海の口は焼けてしまったんじゃ」

「今の村人はみな、ワニガロとファルの子孫にあたるんですね」

「そうじゃな」

■白く水ぶくれをした水死体が口から煙をはきながら歩いているマエラシのイメージを、私は頭の中で反芻していた。マエラシの正体はいったい何だったのだろう。ウルトラマンにでてきた悲しい怪獣ジャミラは、月に残された宇宙飛行士のなれの果てだった。

「とても興味ぶかい話でした。もしかしたら、この話は本当にあったことだったのかもしれませんんね」

「本当の話じゃよ」

■私は今の言いまわしが多少舌たらずだったことに気づき、あわてて言いなおした。「いえ、その、そういう意味じゃなくて。実際におきた事件がもとになってるんじゃないかと思ったんですよ。つまり、はじめて見た白人の姿に驚いた人々が、彼らをマエラシつまり水死体だと思い込んで・・・。たとえば、海の口というのは白人が乗ってきた大きな船のことで、口から出ていたのはタバコの煙で、この白人たちはどこかの島から髪の長い娘をさらってきたんだとしたら・・・」

■オイウ老人は私の顔をまじまじと見つめた。

「それじゃ、それじゃ、ほほほ。タケや、おまえさんの思いつくことはいつも『もしこうであればああであった話』ばかりじゃの」

■私はせっかくの提案がそっけなく否定されたのにうろたえた。

「でも可能性として・・・」

「村にはじめて白人が来たのは6世代前の首長オイカダの時代じゃ。10世代前の首長ワニガロの時代には白人はいなかったしタバコもなかった。可能性とはなんの可能性じゃ?」

■内心、こだわりすぎてるなと思いながらも、なおも私は食いさがった。

「しかし、たまたま少しはやくやって来た白人がいたのかもしれませんよ」

「うむ・・・それではな。マエラシの話はちょっとどこかに置いておくことにして。よいかの?先ほどおまえさんが向こうから歩いてきた時のことを思い出してごらん。その時、もしわしが声をかけなんだら、おまえさんはわしがここにいることに気づいたかの?」

■オイウ老人は私がトイレからもどってきた時のことをたずねていた。私はアバロロの木に突然はなしかけられたような気がして驚いていたことを思い出した。

「いえ」

「もしわしが声をかけぬまま、タケはこのアバロロの木の横を通りすぎ、村のだれかに『オイウを見なかったか?』と聞かれたら、おまえさんはどう答えた?」

「見なかったと・・」

「そうじゃろ。まさか、おまえは『もしあのアバロロの木がオイウだったとしたら、私はオイウを見たかもしれない』とは答えんじゃろ?そんな返答になんの意味があるかのう?おまえの見たものは村の入り口に立っておるアバロロの木であって、わしではない。それが『本当の話』じゃ」

■私は話が循環して再び『本当の話』が問題になっているのに気がついた。


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