「ほっほっほ。マエラシじゃよ。マエラシというのはなタケ、海で死んだ人間のことじゃ。海で死んだ人間はの、陸で死んだ人間とちがって、体が白くなってぶくぶくと太るんじゃ。それをマエラシと呼ぶ」
■マエラシ、水死体には普通の死体とは違う特別な名前がつけられていた。私は日本語のドザエモンという言葉を思いだしていた。しかし、こっけいさのただようドザエモンのイメージは、海の口から出てきたという海の亡霊ともいうべきマエラシとは、およそかけ離れたものにちがいなかった。
「海の口の中からたくさんのマエラシがでてきたんじゃ。そのマエラシたちはみな口のところから煙をだしておって、その煙の力で生きておったのじゃ。昼のあいだマエラシたちは村の中を歩きまわり、夜になると海の口の中にもどっていった。そして朝になるとまた、海の口の中からでてくるのだった。
そうして幾晩かすぎた、新月はしだいに力をつけて西の空に残り、明るさをとりもどしていった。山の中に逃げていたワニガロと村人たちは、夜になると村の方から不思議な歌が聞こえてくるのに気がついた。
『バイナフォは万物の耳を持つ木の実、サゴは命をそのみなもとに帰す木の葉』
首長ワニガロはオシアブに短く礼を言い山をくだった。
ワニガロは森の薮に潜みながら静かに村の方に近づいていった。すでにマエラシたちは海の口の中にもどったらしく、村はひっそり静まりかえっていた。
あの不思議な歌がここでははっきり聞こえてきた。その声は海の口の中からもれておるようじゃった。
目を輝かせている子供たちをじらすかのように、オイウ老人はすこし間をおいた。現実と物語のふたつの舞台で、時の流れをこえた波の音が絶妙な効果音を演じている。私は足元からはいのぼってくる小さな赤蟻を人差し指で潰した。