[KOK 0269] こくら日記のトップページにとぶ 10 Apr 2006

誰がために携帯は鳴る

 

諸般の事情により携帯電話を持つことになった。

万博の時のプレッシャーは持ちこたえたが、以来、私に携帯を持たせようという外圧は強くなるばかりであった。最終的に決心したのは石垣島での海人からの圧力である。最近の海人は海の上で携帯をつかって連絡をとりあう。

考えてみれば、携帯を持ったところで、本人にとってさほど利益はない、連絡を取りたがっている相手にとって便利になるだけのことである。実際、私自身は今でも携帯を必要としていない。

雲

かつて、カー・クーラー・カラーテレビというのが3種の神器ともてはやされた時代があった。30年以上も前である。

免許はあるが、私は車を運転しない。これにも明確な理由がある。車というものは、私自身の手で不本意に直接他人の命をうばってしまう可能性のある唯一の道具である、という事実にある日気づいたのだ。冷静に考えてほしい、意図しないところで他人を殺めてしまう、あなたの身の回りに車のほかにそんな道具があるだろうか。もちろん意図的ではなく事故によってだとしても、誰かの一生を突然に終わらせてしまう事態の重さに、私の弱い心は耐えられないと思う。そんな重荷を背負うよりは、運転しないほうがましだ。

たとえは悪いが、銃を持たないアメリカ人と同じ気持ちなのだと思う。あるいは軍隊や警察や医者など人を殺す可能性がありうる仕事をしたくない人と同じ気持ちだ。他人がそれをするのはよいのだ、私が死の重みを背負わされさえしなければよいのだ、だから他人が運転する車に乗るのは全然かまわない。

うちにはクーラーがない。九州は暑いというが、実感としては京都のほうがよほど暑かった。私よりもコンピューターがクーラー必要としていることは時々あるが、今のところ、どうしてもクーラーが必要な日はない。テレビもいらない。テレビは人の大切な時間を奪う麻薬である。テレビの問題についてはいずれ詳しく書こう。

雲

今の時代、ものに支配されないで生きるためには、よほど疑ってかかったほうが良いようである。たとえば、コンピューターは、いまや私の仕事を助けてくれているのか、邪魔をしていうのかよくわからなくなってきている。このごろは、メールの返事もろくにかけないほど忙しいのだ。いやメールの返事が忙しさの要因のひとつとなっているのだ。

携帯を持つことになった私は、厄介なものが増えた、ともっぱら気が重いのである。実ははじめてではない、10年ほど前に、コンピューターのPCカードのスロットに直接差し込んで通信できる京セラのPHSを一時的に持っていたことがある。こいつはかっこよかったけれど1ヶ月で使わなくなった。

雲

まあ、そんなわけで、これからは私に連絡を取りたければ、携帯で呼び出すこともできるようになったのである。しかし何のための携帯だかいまだわからないまま、ほとんど鳴らない携帯は日々静かに充電されている。できれば、このままあまり鳴ってほしくないのである。


▲ NEW [kok0270]     INDEX     [kok0268] OLD ▼

大介研究室のトップページにとぶ
© TAKEKAWA Daisuke