時が進む方向

[KOK 0178]

20 Aug 2001


[kok178]時が進む方向

イギリスの道路標識を見ていてふと思ったことがある。三角形の赤枠のなかに黒い斜面の図が載っている「急勾配あり」の注意標識。斜面の図には右上がりのものと、左上がりのものがある。しかしこのふたつの図のどちらが「のぼり」でどちらが「くだり」なのだろうか。とっさにこの図を見ただけで先の急勾配の「のぼり」「くだり」がどうしてわかるのだろう。これが、最初の疑問。



こんな標識

さて一般的にグラフでも年表でも、時間の軸は左から右へと進んでいくことが多い(ホームページのリンクも「次のページ」は右向き矢印が多い)。これらの例を見るかぎり、図の右側が左側にたいして、相対的により未来を示しているということになる。われわれは知らず知らずのうちに時間と方向の関係をそんなふうに意識しているらしい。そう考えると右上がりの図がのぼり標識で、左上がりの図が(より一般的な表現として右下がりという言い方が使われているように・・・・)くだり斜面をあらわす標識となる。

なぜだろう。たまたまそうなったに過ぎないといえばそのとおりだろう。恣意的な非対称性の起源など問うてもあまり意味のないことかもしれないけど、こういうことは妙に気になる。

文字を左から右へ書くだからだろうか。本などのイメージから時間の流れが物語の進行とともに左から右へ移っていくという方向性ができてもおかしくない。そもそも文字を左から右に書くのは、たぶんそのほうが(より多数である)右利きの人にとって便利だからだろう。左から右に書いていけば、右手で直前の文字を隠さず、さらに手が汚れにくい。

しかし、一方で世界には左から文字を書く文化もある、日本語の縦書きも文字が右から左に展開される。そういった文化では時間と左右の関係はどうなっているのだろう。たしかに日本語で縦書きの年表をつくるときに時間の軸をどちらに設定するかでしばしば混乱することがあるのだが・・。

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壁の日時計

ところで、オックスフォードの大学の校舎にはよく日時計がついている。夏の日差しの下で時の流れにまかせてぼんやりとこれを観察するのはなかなか楽しい。日時計は校舎の北面に取り付けられ、左斜め上から左回りでさがり6、7、8、9と続き、真下が12。そして右側に1、2,3とあがっていき右斜め上の6で終わる。

不思議に思ったのは、この配列が機械時計と全く逆だということ。われわれが見慣れている機械時計をほぼ上下に鏡像にしたものが日時計の文字盤となっている。したがって日時計の文字盤は反時計回りだ。もし最初の機械時計のデザインが、より原始的な日時計をもとにつくられたのだとすれば、12時が真下をさしてもおかしくない。機械時計のモデルは何だろう。なぜ機械時計は時計回り、つまり右回りなのだろうか。これが二つ目の疑問。

古い時の計測手段である砂時計も水時計もおよそ機械時計とは似つかない。形状的にみても、時間進行の表示の仕方からみても、現在の機械時計に一番近いのが日時計である。

日時計においては、時を示す影は左まわりにすすむ。もしや、世界で最初の機械時計は、アフリカあたりの南半球で造られたのか?南半球なら影の動きは右回りだ。そんな大胆な仮説を頭の中でちょっと検討してみたりする。

しかし、なにげなく空をあおいだ次の瞬間、漠然と関連した二つの疑問は、ひとつの可能性をさぐりあてる。日時計の文字盤にこだわるあまり、肝心なことを忘れていた。一番シンプルでそしてもっとも広く利用されていた時計の存在を。

いうまでもなく、それは太陽だ。機械時計はたぶん太陽の動きを模したのだろう。しかも北半球の太陽だ。南の空を正面に見ると北半球の太陽は左から右へと移動する。左の空から登った太陽は、12時で一番高いところに位置し、そのあと夕方にかけて右の空に沈んでいく。

やはり最初の機械時計は北半球でつくられたと考えたほうが自然だろう。そして時を司る太陽の影響で、北半球に住むわれわれの文化は、無意識に時間が左から右へ進むという前提を受け入れているのかもしれない。もし南半球のどこかに逆の価値観をもつ文化があれば、この仮説の有力な傍証となるのだが。

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Takekawa Daisuke