インデックスをつくる記憶法

[KOK 0170]

26 Jun 2001


紙と鉛筆を用意してください。そしてなにも見ないで、その場でささっと「フラミンゴが片足で立っている絵」と「ダチョウが草原を走っている絵」を描いてみてもらえませんか?

前回は内容がたくさんありすぎてダチョウとフラミンゴの話をするのをつい忘れてしまった。みなさんの手元にはどんなフラミンゴとダチョウが描かれているだろうか。まだなにも描いてない人は、この続きを読む前にぜひ急いで絵を描いてみてほしい。







さて、絵は描けただろうか。

もう何年か前の話だが、どこかの大学の入試の問題でニワトリの絵を書かせて、その答案に4本足のものがあったと話題になったことがある。さすがにそこまですごい絵はふつうなかなかお目にかかれない。みなさんも、もちろん大丈夫だよね。

ここで話題にしたいのはただ一つ、その絵の鳥の「膝」がどちらに折れているかということである。人間と同じように膝の先が前に突き出す形で折れている絵を描いた人は、描きながらなにか違和感を感じなかっただろうか?

フラミンゴやダチョウに限らず、きちんと観察してみると鳥の「膝」は後ろにくぼんで折れている。

同じ「ものを覚える」という行為ひとつををとっても、そのやり方は人によってずいぶん違う。画像を丸ごと脳の中で再現できる人は、疑うことなく「膝」が後ろに折れている鳥の絵を描くことができるかもしれない。

理屈でものを覚える人は、ここでかえって常識の落とし穴にはまるかもしれない。なにかおかしいぞと思いながら、人間やほかの動物からの類推で「膝」が前に曲がる脚をかいてしまう。

それでは、「鳥の脚は動物とは反対に曲がる」と暗記しておけばいいのだろうか?こうやって覚えておけばとりあえず試験には通りそうだ。

しかし、このやり方は、ちょっと強引に記憶に頼らないといけないし、それ以上意味が広がらなくてあんまり面白くない。記憶力のある人には可能かもしれないが、そうじゃない人はすぐ忘れてしまうかもしれない。それにもしかすると正しくないかもしれない。

さて、先ほどから「膝」と書いているが、鳥の「膝」のように見えるところは実際は「膝」ではない。解剖学的には「踵」なのである。

つまり鳥は、われわれの体にたとえていえば、とっても長い「足の平」を持っていて、いつもつま先立ちをしている状態なのである。

なるほどそれなら、人間との類推が可能である。「鳥の膝は実は踵である」と記憶すれば多少一般性が広がり覚えやすい。

ここでさらに、相似器官と相同器官という二つの概念を導入してみよう。相似器官というのは、異なる種の間で発生学的な由来は違うけど同じような働きをする器官。つまりここで言えば「鳥の膝(実は踵)」と「人間の膝」は、歩行の際なめらかな脚の運びをおこなうために必要ないわば一種のクランクのような相似器官である。別の例で言えば、鳥の翼とトンボの羽根は典型的な相似器官。

それに対して相同器官というのは、異なる種の間で発生学的な由来は同じだけど違った働きをする器官。つまり「鳥の膝(実は踵)」と「人間の踵」は相同器官である。別の例で言えば、鳥の翼と人間の腕は典型的な相同器官。

こうすると、この話題は一気に生物一般の不思議な性質の話まで展開する。生物の形は環境との相互関係で決まるから同じような機能を持つ器官は同じような形になることが多い(相似器官)。また、生物の進化というのはある意味非常に保守的で、先祖代々受け継がれてきた形を根本的に変えることなく新しい役割を与えることが多い(相同器官)。

インデックスをつくる記憶法というのはこんな風に、できるだけたくさんのエピソードや情報を関連づけて、個々の具体例と一般化の間を往復する作業である。

鳥の「膝」の話を聞きながら、じゃあなぜ鳥はつま先立ちになったのか?便利な点は?鳥の祖先の恐竜はどうなのか?ほかの動物の相同器官では似たようなものはないか?腕の関節はどうだ?など、など、など、みんながノートを取っているあいだに、頭の中で疑問をぐるぐるさせていると、自然に鳥の膝のことなんてすぐ覚えてしまう。

いえいえ極端な話、ここまで整理しておけば、もう鳥の膝と人間の膝の向きがどっちだったか忘れてしまってもいいのである。そんなものは、いつでもあとで確かめられる。それよりもなにか別の機会に、たとえばトビネズミを見て「あれ!あれ!こいつらも『膝』の向きが逆だ・・・ということは・・・両足でピョンピョン跳ぶために踵が長くなったのか・・・・なるほど人間も跳ねるとき踵のバネを使うな・・ウサギもカンガルーも踵が長いし・・・」なんて感じで、話がふくれあがっていけば、それはもう十分つかえる知識になったといえる。

もちろん、すべての事柄がうまく整理できるとは限らない。時には分類不能なものや関連づけがむつかしい例外的なものもあるだろう。しかしそれらは決して捨ててしまうのではなく、むしろ意識的に判断を保留して「疑問のまま」どこかに置いておく必要がある。

実は、この例外こそが大発見つながる鍵になる一番大事なものだったりするのである。そう、逆説的だけど、もしかしたらインデックスをつくる記憶法の最大の要点は例外を探すことかもしれない。すべての疑問は例外から始まる。だからこそ、先生の話を批判的に聞いてたりするんだね。

こういう記憶法って、とくに頭がいい人しかできないわけじゃなくて、うまくトレーニングしたら4歳の子でもできることだと思う。4歳の子だとついつい暗記(ホーリスティックな理解)に頼っちゃうけど、意図的に関連づけさせていけばそれなりに分節化していちいち意味や理由を考える癖がつく(もちろん困ったことに世の中にはそれでは答えられない意味や理由が多すぎるんだけど・・・)。

勉強法のメールを読んで考えたこと。

ビジュアルイメージを使う人が思ったよりも多かったこと。それはすでに書いたとおり。もうひとつ内職。これだけの例から結論を出すのはまあちょっと強引すぎるけど、もしかしたら女性の脳って男性より内職に向いているのかも、なんて思った。電話をしながら女性はほかごとができるけど、男性は集中しないと会話できないなんて話もあるしね(脳梁の太さが違うから女性の脳のほうがマルチタスクなんだってさ)。

ぼくもいわゆる内職はしてたけど、それが、いつもどうしても本職(シングルタスク)になっちゃうのね(そして知らないうちに先生が隣に・・・・)。だから、いまだに音楽かけながら仕事ができない。音楽がなっていると気が散ってしょうがない。車の騒音のほうがむしろ(意味がないだけ)まし。

男と女、大人と子供でも違うくらいに、人間の認知なんてしょせん生物学的な限界がある能力だから、それを有効に利用していかに世界を理解するのかって考えたときに、できるだけ今の自分の脳の特性に合わせた方法を使うのが効率がいいと思う。合ってない教えられ方をされると、どんなにがんばったって解らないしつまらない。

そしてなにより自分の脳の特性を見極めるのも勉強のうちだなと思う。


文ちゃんありがとう

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Takekawa Daisuke