モノをつくる人々

[KOK 0103]

04 May 1999


長崎にいった、平戸から西彼杵半島の大瀬戸町を経由して、雲仙、島原、海を渡って熊本へ。カヌーとテントを車に積んで3泊4日の旅だった。

平戸と雲仙では温泉で泊まった。近くの宿は黄金週間でどこも満員だったが、温泉に寄生するように設営されたわれわれのテントは、その混雑さとは無縁だった。カヌーやテントは折り畳み式、それに車という便利な道具のおかげで、機動力は飛躍的に増した。長崎は探検部の友人と屋久島登山の途中に立ち寄った13年ぶり。自由な車の旅は、テントやカヌーを背負いながら電車で旅をした昔とは、またちがった趣がある。

旅の2日目に大瀬戸町の雪浦という集落を訪ねた。雪浦では、渡辺督郎氏の家に1泊した。督郎氏とはもう9年来の知り合いになる。9年前、ぼくが初めてソロモン諸島にいったときに、彼は海外青年協力隊のコーディネーターをしていた。その後もソロモンにいくたびに督郎氏と妻の美佳さんにはお世話になった。

ぼくが北九州に来て以来、なんどとなく遊びに行く約束をしていたのだが、4年目にしてやっとそれが実現した。ソロモンで最後にあったときに、まだ生まれたばかりだった長女の星華ちゃんは、はや6歳。星華ちゃんと弟の一慧くんは、葵や玄之介のよい遊び友達になっていた。子供たちを見ていると時間の経過のはやさを感じる。

督郎氏は自分が生まれた雪浦で、童心塾という塾を経営している。家の隣には大きなベランダを持つ木造の教室がある。督郎氏の話では、このごろ雪浦には、芸術家や音楽家などいろいろな人が移り住み、とてもおもしろくなっているという。

奥深い入り江と照葉樹林の森に囲まれた雪浦は、その自然環境を一見しただけでもとても魅力的な土地に思えた。満潮の流れにのって、河口にある督朗氏の家の目の前からカヌーをだした。カヌーは海の水とともに四キロ先まで河をさかのぼる。河岸にはモコモコと黄金色に輝く新緑の山が切り立っていた。九州の照葉樹林は、京都や名古屋から来た人間には信じられないほど豊かだ。しかも5月はそのもっとも美しい季節。

海もまたいい。この土地は、すでに日本では消えてしまった海上生活者「家船の民」が一番最後まで残っていたところだ。集落の前の砂浜は東シナ海に面しており、海に沈む夕日は、日本最後の海底炭坑、池島のシルエットを黒く浮かび上がらせる。周囲わずか4キロメートルの池島には、高層アパートが建ち並び、日本のほとんどの炭坑が閉山となった現在でも数千人の炭坑労働者とその家族が、海水淡水化装置を頼りに生活をしているという。

つい先頃の選挙で督郎氏は、そんな町の議員に選ばれた。督郎氏の塾は、雪浦に惹かれそこで生活をする人々のサロンでもある。畑作りや炭焼きや陶芸など、童心塾は既成の学習塾をこえた自然塾として活動を続けている。今年の春からは、童心塾の一期生のスグル君が、新しいスタッフとして参加する。彼は大学院で教育心理学を学び、この雪浦に戻ってきた。

夜は、そんな督郎氏の仲間たちと酒を飲んだ。督郎氏手製の玄米ドブロクはうまかった。農業にせよ、音楽にせよ、陶芸にせよ、モノをつくる人々と話をするのは楽しい。京都にいた頃から、ぼくのまわりには、モノをつくる人々が多かった。モノをつくる人々のまわりには、自然に同じような人が集まるのだろうか。

しかし、このごろになって、世の中にはモノを作る人ばかりじゃないことに気がついた。「モノをつくる人々(創造者・クリエーター)」のもう一方に「モノをつかう人々(消費者・コンシューマー)」がいる。もちろんひとりの人間の中にもその両面性があるだろうから、どちらに生き方の比重を置くかという問題なのだが。

モノをつくる人々は、常に今あるモノを壊しながら、新しいモノを考えようとするし。モノをつかう人々は、あらゆる手をつくして今あるモノを守ろうとする。この二つの対称的な行動は、さまざまな点で、目指す方向が違い、時にぶつかり合う。遊びと仕事という言葉の意味も、たぶん両者では逆転してしまう。

最近読んだ新聞のコラムに、「てづくり」という言葉の意味が世代によって変わってきているという記事があった。本当かどうか知らないが、なんでも「具の入った寿司の素」を使ってつくったちらし寿司を、20代では「てづくり」に感じるのに対し、30代では手抜き、それ以上では既製品と感じる、というような指摘であった。

たしかに、ちらし寿司自体をスーパーで買ってくるのに比べれば、寿司の素を使うのは「てづくり」かも知れない。しかし、ぼくの感覚だと、たとえ具を自分で作っても粉末状の寿司の素を使うところですでにアウトである。どの辺で線が引くのかというと、錦糸卵からなにから具は自分でつくって(でも、でんぶやかまぼこは既製品かな)寿司酢をつかうのは、まあ許せるかなといったあたりである。むろん寿司酢自体も酢とダシから作るべきという考え方もあるだろう。

雪浦には、米と水にこだわった酢造蔵がある。督郎氏は、自然農法もうまい酢をつくる事も、結局はつながってくるのだ語る。モノをつくろうとしている人々が目指している世界は、究めれば究めるほど奥が深い。

しかしソロモンのような自給的な世界では、身近にあるモノのほとんどが、顔見知りの誰かがつくったモノか、どこか近くからとってきたモノである。とくに肩肘をはる事もなく、それが自然なのである。こだわりと究極は、決してテレビやマンガで消費されるためにあるわけではなくて、むしろ日常を創っていくために求めるべきである。かつてモノをつくるという行為は人間の生活にとっては当たり前のことだったのだから。

さて、いま唐突に思いついたのだが、雪浦でこんな自然の酢とキトキトの魚を使ってちらし寿司を作ろうという計画はどうだろうか?米も炭も器も童心塾特製。塾の教室には10人くらいは泊まれるそうなので(寝袋があればもっといけるね)、今度はみなで行こう。

督郎さん先日はお世話になりました、またよろしくね。

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Takekawa Daisuke