講演が終わって

[KOK 0062]

27 Jun 1997


講演続きの一週間であった。つかれたつかれた。

ひとつめの講演は、平成10年に小倉にできるメディアドームという全国初のドーム型競輪場の主催のシンポジウムであった。私はここで「メディアとは欲望を乗せる電車である」という立場から発言し、画期的な提案をした。以下、その論旨である。

【マルチメディア社会とこれからの街づくり】
シンポジウム草稿

竹 川 大 介

南の島と私たちの生活の違い

ネットワーク社会とはなんだろうか。南の島の(プリミティブな)ネットワーク社会では、顔を合わせる人間関係が基本である。それは、高度に「情報化」されたわれわれの社会に比べると非常にシンプルなものであるが、ここには情報の送り手と受け手の間に個別性(身体性)がある。

たとえば、村である大きな事件が発生すると人々はそれを歌にする。そのニュースがおもしろければ歌は村をこえて広がる。しかし、はじめにその歌を作った人の顔は誰もが知っている。「誰か」が「何か」をした時、われわれの社会では「何か」重要であるが、彼らの社会では「誰が」の部分が強調される

「匿名性と個別性」

われわれの社会と南の島の社会ではどちらがより「人間的」か?南の島の社会はとても個別性が重要であり、われわれの社会のマスメディアは、情報の大量伝達を可能にしたが、匿名性をはびこらせた。一人の人間が発信し受け取る情報としてどちらの質が高いのだろうか。

まちづくりとは人間関係の再構築にほかならない。美しい町並みを作るとか、大きな建物を作るとか、観光の名所を整備するということは、あくまでもまちづくりの表層(いれもの)に過ぎない。マイナーでローカルで地味な作業であるが、顔の見える形で、人と人・人と街の関係のあり方を変えることが本来のまちづくりである。

ネットワークとは「拡張された個人」である

コンピュータネットワークとマルチメディア技術は、われわれ(個別的世界)から遠ざかったメディア(媒体)をもう一度われわれ(個別的世界)のために取り戻すことを可能にした。いわば自己拡大(延長)の欲望の上に成り立っている。

世間ではコンピュータネットワークは、内向的で顔の見えない匿名(あるいは虚構)性がはびこる世界であると思われている。しかし、実態はむしろその正反対で、これほどダイナミックに個人の関係がつながるメディアない。われわれはコンピュータの画面に映し出される文字をとおして、そのむこうの個別具体的な人間に出会っているのである。

そして、よく言われていることだか、拡張された自己の先にあるネットワーク型組織においては、個の立場も組織(公)の立場も、ほぼ同系列に扱われるという点も大きな特徴である。これは、代表者に権限を委譲し全体の意志一致をとることによって存在し、個人が埋没してしまうピラミッド型の組織では、かんがえられないことである

巨大な端末としてのメディアドーム

さて、メディアドームに話をもどそう。これまでのような、イベントのあり方は、プロモーター(しかけにん)がおり、人々はあくまでも無名の観客の一人としてそこにいるというものがほとんどである。これらのイベントは本質的な意味で参加型・双方向的ではない。

すでに述べた通り、マルチメディア技術の発達によって、個人の顔が見える新しいメディアのあり方が(日常的に)可能になった。このメディアドームも結局は巨大な端末であると考えてみてはどうだろうか?端末という意味では、家の中にあるテレビや電話、ネットワークにつながっているコンピューターと同系列のものである。

しょせんこれらのハードウエアは、入れ物に過ぎない。その入れ物に何(ソフトウエア)が入るかで意味が変わる。メディアドームが何を映し出すのか、そこが肝心である。さて、ここまでの話は、まあ、ありきたりのメディア論である。問題はその入れ物になにを乗せるかである。

一つめの提案

ゲーマー甲子園 「げーまー甲子園」メディアドームの巨大スクリーン(スーパーワイドビジョン)を使って、全国規模のTVゲーム大会をおこなう。毎年、それぞれ課題のゲーム(たとえばストリートファイターとか)の腕自慢のゲーマーたちが小倉に集まり、戦いを繰り広げる。自分のてもとのコントローラーと巨大スクリーンの映像が一体化するその快感!

現在のアーケードゲームは、やって楽しむと同時に、すでに見るだけでも十分面白いものになりつつある。観客席にはその戦いを見にくるギャラリーがやってくるだろう。拡大された個人の姿が、ゲームをとおして人々に伝えられる現場がここにある。

二つめの提案

「親バカinドーム98」北九州一円から募集した親馬鹿ビデオを編集し、ひとりあたり1分ずつ9m×24mスーパーワイドビジョンから放映する。おそらく、ジジ馬鹿やババ馬鹿こみで、一件当たり平均6名(推定)の3世代の人々が、一同に会するのだ。かりに600件の応募があったとすると、総10時間総動員数3600人のイベントである。

親馬鹿inドーム 親馬鹿の欲望は際限がない。彼らはまちがいなく10時間のうちのわずか1分のためにここに集まるだろう。そして、彼らの中で同じ欲望を持つものどうしの交流がはじまる。そう、「ひとづくりこそまちづくり」である。

具体的には家庭用ビデオカメラという技術の発達によって、企業の力をかりなくても、個人の顔が見えるメディアが日常的に可能になった。これこそ参加型で双方向性をもち、なおかつ新しい人間関係をそこで生み出す、これからの時代にふさわしいイベントといえる。

この二つの提案のどちらもスポンサーをつけるのは簡単である。赤ちゃん産業もゲーム産業も今もっとも成長しつつある業界である。そして、これほどいい宣伝の機会はほかにない。どうです?やってみません?


もうひとつの講演

「生物学的多様性戦略とネットワーク組織論
あるいは大学生活の楽しい過ごし方」

これは、私が恥をかなぐり捨て大学時代の数々の生活を語る画期的なものであったが、それについてはまたの機会に譲ろう。まあ、ちょっとだけふれると、現代思想のなかで今もっとも注目されている多様性戦略とネットワーク組織論を(強引に)むすびつけ、ここから大学生活の楽しみ方と新しい人間関係のあり方をひきだし、なおかつ自分の大学生活を語ってしまうというのだから、こりゃもう、おもしろくないはずがない、という代物だ。

「そんなおちゃらけな、講演ばっかりせずに仕事もしろよ」という声が聞こえてきそうである、そのとおりである。明日から千葉にいく。マイナーサブシステンスにかんする研究会の発表だ。うひゃー準備できていないよー。

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