01 Oct 1996
■感傷的なこくら日記がつづきます。秋です。
■少しおくれてしましましたが、9月28日のことです。交通事故でなくなった、阪本君の下宿の一階は、雲長という居酒屋で、そこは、かねてからいきたいと思っていた店でした。そして先週の金曜日に急遽、阪本君を偲びながら酒を飲もうと決め、翌日、数人とその店にはじめて足をはこびました。
■偲ぶといったって、生きていたときだって、阪本君は、部屋の端の方でにこにこ笑っているだけの、おとなしい男だったから、たぶん特別に偲ばれたって居心地がわるいでしょう。みなはそれぞれ勝手な話をしていたし、それはそれで、とってもよかったのです。
■七夕コンパの時に阪本君にいちど顔を会わせただけの、北九州ネットワーカーズフォーラムの人々もきてくれました。雲長は、せまいけれど無計画にふらっとくるのには、とてもふさわしい居酒屋でした。
■雲長をでたあと、北九州ネットワーカーズフォーラムの人々が、平尾台に連れていってくれました。平尾台は小倉から南へ10kmほどいったところにあり、山口の秋吉台によくにたカルスト地形の山です。そして、阪本君が事故をおこした場所は、その平尾台だったのです。
■車は、くねくねと斜面をのぼり、高原状の平尾台の入り口をすこしすぎたあたりの、下りのカーブに到着しました。そこが、事故現場でした。そのときわたしは、ちょっと酒に酔っており、「どうしてこんな高くて美しいところで阪本君が死んだのか」不思議で不思議でしかたありませんでした。
■その日は満月でした。平尾台では一面のススキが、さらさらと風にゆれていました。月は雲のなかに見え隠れしながら、それでも、煌々と、三千大千世界を照らしておりました。
■小倉はよか街です。
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