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いいですねぇ

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日本で「イギリスに行く」と話すと、会う人、会う人に「いいですねぇ」といわれた(そのほかには、「なんで大介がイギリスなの?」というやつ。答えは「いったことないから」)。これがよくわからなかった。実は今でもわからない。この国のどこがそんなにいいのだか。これがソロモンやマレーシアだとたいていの人は「いいですねぇ」とはいわない(「気をつけて」という)。

「イギリス・・いいですねぇ」は、まるで結婚式のときの「おめでとう」のようだ。自分の結婚式のときも違和感があった。あの「おめでとう」はいったいなんだ? なにがめでたいのだろう。自分はなにも変わってはいない。「結婚・・おめでとう」これって、たんなる反射的な社交辞令?

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右側の聖メアリー教会の塔に登る

不思議なことに日本でイギリスのガイドブックを読むと、ほとんどこの国のことをほめて書いてある。たとえば列車が時間どおりに出ないことについて、「おおらかなイギリス人らしい風景である」。同じことがもし中国だったら「資本主義が未発達で人々はよく怠けがちである、ここは我慢し慣れるしかない」なんて書かれる。あるいは、サンドイッチのような料理として評価に値しない食べ物について、「この合理的な手軽さがイギリスのよさである」となる。同じ事がソロモンならたぶん「この国の食生活は未分化で複雑な味覚のものは望めない」となる。あきらかにアンフェアーな感じだ。

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まだ3週間しかたっていないが、圧倒的なすごさや魅力というものをあまりこの国に感じない。まあ悪くはないと思う。嫌いではない。でも、それだけ。 この国にしか見られないものというのがない(図書館と博物館は立派だけどね)。よく言えばイギリスがグローバルスタンダードになった、悪く言えば特色がない。だから「いいですねぇ」の実感がわかない。

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はじめていった外国はアメリカ、高校生の時、何もかもでかいのに驚いた、みなわりとルーズでアバウトなのが印象的だった。次はたぶん中国、日本にこんなに近いのに「これほど違う世界があるのか」と驚いた。船で上陸後、最初にさまよったのは夜の上海の街。見せかけではない本物の異文化にぶち当った。言葉もわからん宿もない。

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そのあとインドネシア、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ソロモン諸島、パプアニューギニア、ミクロネシア連邦、ナウル、クック諸島、オーストラリア。おもにアジアからオセアニアにかけていろいろな国に滞在した。居心地がよかったのはマレーシア。クック諸島もすてきな所だった。ソロモンはいつも驚きの連続だが、ふるさとのようなところだ。

それに比べるとイギリスはふつうだ。なぜこの国から近代が生まれたのかが不思議な気さえする。もしかすると近代とは「ふつう」ということか?もし100年前のイギリスにきたらもっとおもしろかったかもしれない。でも、100年前なら日本も十分おもしろそうだ。

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もしかしたら「イギリスはいい」というのは、近代人のなにかの願望を体現しているのだろうか?60年代くらいに「アメリカがいい」という大衆社会の幻想があったように。(今はアメリカよりもイギリスのほうがいいらしい)。 よくわからない。この国になにを期待したらいいのだろう。

しかしまだ、一ヶ月もたっていないのだから、あまりはやく見切るのはよそう。それにヨーロッパとくに東欧や北欧ににもいってみたい。大陸と比べればイギリスがもうすこし解るかもしれない。

お茶

イギリスは紅茶の国だという。紅茶好きのぼくは大いに期待していた。しかし、どうも納得がいかない。はっきりいおう、まずいのだ。紅茶が。

しかもオックスフォードの紅茶専門店の品揃えはたいしたものがなく、いまのところガーデンティはどの店にも見あたらない。喫茶店でも人々は、むしろコーヒーやカプチーノを飲んでいるみたいだし、いったいどうなっているのだ。

紅茶がまずい原因は明解である。この国の水が硬水だからだ。ものの本には、軟水は日本茶に向いていて、硬水は紅茶に向いていると書いてあったりするが、それは嘘だろう。その著者はうまい紅茶を飲んだことがないのだと思う。 たしかに硬水で入れると、紅茶独特の苦みや渋みが減る。多少時間にルーズでも、飲める紅茶ができる。とくにアッサムやウバ、匂いのつけてあるアールグレーは飲みやすくなる。でも「飲みやすい」と「うまい」は別だ。

硬水でいれた紅茶は、見た目が濃いわりに香りが弱く味も薄い。おまけに油のような被膜や泡が浮かび、水色に濁りがでる。カルシウムが析出しているのだ。しかもすこし時間をおくと味がどんどん落ちていく。

沖縄やソロモンなどの石灰質の島も硬水だ。沖縄では石灰質の水を開き直って(特色を生かして)「ぶくぶく茶」なんていうお茶を入れている。イギリスの泡立つ紅茶もそんな感じだ。とても、繊細な香りのダージリンを入れる気にはなれない。

世界で一番多様性があり豊かなお茶文化を持つ国は、まちがいなく中国と台湾だと思う。高級な中国茶に比べるとどんなに高級な紅茶でも見おとりがする。味と香りでは日本茶も世界に誇れるお茶だと思う(個人的に玉露は好みではないが)。

さすがの誇り高い(鈍感な?)イギリス人もこの硬水のまずさは認めざるをえないらしく、この頃はカルシウムを吸着する簡易浄水器がスーパーなどで売られている。この効果はすばらしい。われわれも購入して試したが、お茶の味が抜群に改善される。

そのせいか、緑茶がちょっとはやり始めている。緑茶の入れ方なんていう本もある。コーヒーや紅茶は比較的硬水に味が左右されない。だからこそグローバルスタンダードになりえた。緑茶が海外でうけなかったのは、実は水のせいだったのである。

それとゴールデンルール、これに従って日本で紅茶を入れるとちょっと苦すぎることがある。前からおかしいなと思っていた。あれは硬水用のルールである。軟水で入れるときは、もっと葉を減らして、短めの時間で入れなくてはいけない。こんなこと、どの紅茶の本にも書いてない。

科学博物館

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ロンドンいくなら地図を片手に。

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いつものバスの二階にのって。

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ハイドパークでアイスクリームなめて。

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さあ、ついたぞ科学博物館。

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イギリス近代技術の原点。

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世界をかえた科学の翼。

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ああ科学よ君はすてきだ。

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君の未来はまだ明るいか。

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聖空間

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たまには静かな聖空間で

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荘厳について考えを巡らす

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壁から天井に至るまでのすべての装飾品が、かつての人の手によって作り出されたのだという事実を、職人の指先の一つ一つを思い浮かべながら、しずかに考えてみるのも良い。

病院

保険医療(NHS)の手続きをした。書類に必要事項を書き込むと、主治医(GP)の面接をうけて手続きは終了した。非常に簡単で、かつ親切だった。

面接では、葵の喘息について日本で使っていた薬、日常のケアの方法を説明した。日本とイギリスでは喘息に対する治療法が違うという。日本は気管支拡張剤で対応するところを、イギリスではわりと簡単にステロイド剤を使うらしい。

どちらが優れているのか判断できないが、ともかく日本の予防法を続けたいというと、日本で使っていたものと同じ作用をする薬を処方してくれた。薬局に注文し翌日取りに行くとパッケージ単位で大量な薬がでてきた。

いくらかかかるのだろうと、おずおずと尋ねると。無料だという。驚いた。 イギリスでは16歳以下の医療費は無料らしい。でも、いいんだろうか?こちらで収入がないので保険料なんてぜんぜん払ってないのだけど。

GPの面接を終えると今度は保健婦さんが待っていた。5歳以下の玄之介には保健婦のケアがつく。保健婦は母親の子育て相談、育児施設や預かり施設の紹介などをする。地域に土地勘のないわれわれにとってはとても役に立つ情報だ。必要であれば予防接種もうけられる。玄之介はかっこいい母子手帳 Parsonal Child Helth Record をもらってご満悦である。

小学校

葵がかよう小学校が決まった。

しかも、こちらの学校教育は5歳からはじまる。5月うまれの葵は来年までまだ日本では幼稚園の年少組なのだが、イギリスでは次の9月でいきなり小学校の2年生になってしまう。さすがにこれはちょっと困るので、1年生から入れてもらえるように頼んだが、結局いきなり2年生になってしまった。

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小学校のバザーでマニキュアを塗ってもらう葵

子育て支援

町には何ヶ所もプレイルームや、育児相談所、一時託児施設がある。たいていが教会やボランティアで運営されているが、市が管理しているものもある。 ちょっと買い物に出るときにみな気軽に子供を預ける。実費の食費程度で大人と子供があつまって一緒に食事をする会も開かれている。日本と違い、こういう会はふつう一時的な利用が可能で、出入りが自由である。基本的にオープンなのである。

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数は減ってきているというが、トーイライブラリーというのもある。いらなくなったおもちゃを集めて、たずねてきた子供たちがプレールームで遊べるようになっている。おもちゃを借りて帰ることも可能だ。なかなか良いアイデアだ。

街ごとに子連れの家族のための案内書が整備され、街の情報センターには子供向けのイベントを網羅したパンフレットがおいてある。

パックツアーのパンフレットを見ても、託児付きのツアーが多い。子供用のレストランを用意し、大人と子供はわかれてディナーをとるというプランも見かけた。

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ここまで読むと、非常に子供思いの国のように思われるかもしれないが、別の見方もできる。イギリスは日本に比べるとずっと大人社会だ。子供と大人が厳格に区別されている。そして大人が自分の時間を持つことが非常に重要視されている。皮肉なことに、だからこそ子供のあつかいに手間と金をかけているのだ。

日本で葵と玄之介がかよう幼稚園が今年の夏から子育て支援センターを開設する。教育という枠組みにとらわれない柔軟な施設にするという。これまでの日本的の発想にありがちな管理主義を全面に出すのではなく、むしろイギリスのように利用者の自己責任に帰するような方針のほうがうまくいくような気がする。要は利用者にどこまでオープンな環境を提供できるかが、成功の秘訣だろう。

交渉決定型社会

イギリスに来て印象的だったのは、簡単な手続きで実に能率良く事務をこなすことだ。

たとえば空港の税関では、ほとんどみんな素通りで、抜き打ち的に誰かが荷物の検査をうける。全員ならべていいかげんな検査をするより、このほうが抑止効果があるだろう。

とくに病院や学校などの社会福祉方面のルーティンはよく整備されている。むろんここも書類社会であるが、日本のように同じような書類を無意味に何枚も書かされるということは少ない。ほとんどの項目はチェックを入れるだけで済み、同じ物はコピーですます。書類の内容がよく吟味されていて、個々に必要な条件については現場で判断されている感じだ。

ともかく、なにかにつけ簡略化され合理的である。だから、ついついこの社会の本質をわすれてしまう。

自転車のチャイルドシートをリサイクルバザーで買った。

お店で自転車を買ったついでにそれをつけてくれるように頼んだら、7ポンド(1200円)必要だという。自分でできるような気もしたが工具もないし、ついでだからと思いそれでたのんだ。

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自転車屋はしばらくいじったが「部品が足りないので来週またこい」という。 買った自転車のフレームにあわせたスペーサーが必要だという。

次の週いくと「部品は取り寄せられなかった」という。そのうえで「われわれは、取り付けることを請け負っただけであるから、スペーサーは自分で探してもってこい」という。

それが手にはいるくらいなら自分で取り付けられる。そこで「そんな事を言うのなら、自分でやるから7ポンド返してくれ」といった。

すると、「いちど領収書を発行した以上お金は返せない」という。「こちらはおまえに頼まれた仕事をするだけだ」という。

「おお?」っと思った。「来たぞ来たぞ」という感じだ。こういう交渉はインドネシアや中国でいやというほど経験している。こんな事で感情的になってはいけない。冷静に話を進めるだけだ。

「わたしが頼んだ仕事はチャイルドシートを取り付けることだ」

「そのとおり、しかし部品を取り寄せるのは、おまえの責任だ」

「しかし、あなたはまだ頼まれた仕事を終わらせていない、そうだろ?」

「それはそうだ。われわれはまだ仕事をしていない。」

「だからお金を返してくれ」

「お金は返せない。この店の会計は一日ごとに精算するのだ」

「まだ仕事をしていないのに、契約を遂行したことになるのか?契約内容はまだ完了していない。だろ?わたしは権利を放棄しないといけないのか?それともこの店ではキャンセル料が必要なのか?」

「キャンセル料はとらない。あくまでも会計上の問題で返せないだけだ」

「なるほど、それなら、別の物を買ったことにはできるか」

「それは可能だ」

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これ一つで万能整備

話のわかるやつだ。態度はやや横柄だが、議論にはちゃんとつきあってくれる。理屈も、まあとおしてやろう。こっちも頼んでおきながらあとで断るという弱みがある。差額の3ポンドを足して、ちょうど必要だった10ポンドのヘルメットをもらった。それにしても、つくづく「ここは交渉決定型社会なのだなぁ」と思った。(スペーサーは近くの自転車屋で50ペンス=70円だった。)

ふりふりばあさん

天空の城ラピュタに出てくる、海賊のおばあさん(名前忘れた)というか、水森亜土ちゃん(いまどき誰も知らんか?)というか、キャンディミルキーさん(ますます知らんだろうな)というか、まあ要するに、ピンクハウス系レースフリフリの服を着ているおばあさんというのは、本当にいるのだな、この国には。

ありきたりの旅行案内書やよくあるイギリス賛美エッセーのように「だがしかし、これがこの国の人だと、意外、似合って見えるのだから不思議なものだ」とは、ぼくは書かない。

「これがありなら何でもありだな」それが感想である。

街頭音楽家

街はストリートミュージシャンにあふれている。音楽好きの葵は大喜び。おかげでぼくの小銭はすぐになくなる。

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奏でる楽器もギータだけでなくバイオリン、フルート、竪琴、スチールドラム、バグパイプと何でもありだ。フォルクローレのバンドも大人気だった。

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ジェンノスケ

こちらの人は日本語の発音が不自由だ。子供たちはちゃんと名前を呼んでもらえない。AOI はアーウィ、フランス語じゃないんだから。

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GENOSUKE はジェンノスケ。紳士である。生物学者に「名前の由来は、なにか遺伝子 Genome に関係あるのか」と聞かれた。「そのとおりだ、彼は私の遺伝子の半分をもっている」なーんて関係あるわけなかろうが。

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自転車王国

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自転車を買ってしまった。オックスフォードは街をあげて自転車交通を推進しているらしく、案内所に行くときれいなロードマップをくれた。

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街の中の交通量の少ない抜け道や、自転車専用道路が色分けしてえがかれている。こちらの交通ルールも図解されていて、非常に役に立つ。

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たいていどこの道も、車道と歩道の間に自転車用車線が整備されており、街の中も自転車の移動が非常に快適である。さらに、ちょうど国道のように、番号がうたれた自転車専用道路がイギリス全土につながっている。自転車道路は広い芝生の公園の中や、川沿いにどこまでも続いている。電車の中も自転車を持ち込める。疲れたら、載せて帰ればいい。

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「サイクリング」なんて特別なことを思わなくても、家の目の前からすぐに自転車旅行を楽しめるのがこの国のいいところだ。もしかしたらこれは乗馬の国の歴史だろうか?何しろ快適。ちょっと郊外のスーパーマーケットに行くのもサイクリング。サイクリングがまるっきり日常なのだ。

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ふたりのり用の自転車をタンデムとよぶ。坂道ではサブエンジンが働いてターボが利く。チャイルドシートとタンデムと、頑丈な鍵。自転車ライフで行動範囲が格段に広がった。

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ターボ全開である。

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